風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

文章

ピンキーの爆発現場

・私は自身の商品価値を(あるいは人格的価値)を示す為に、自分がいかに正しく神的で、正義に基づいており、私自身の正義のために多くのことを断念しているかということを見せびらかしたいと思う。誤解しないでもらいたいが、私が世の中に不満を持ったり、…

けめくじ氏の『書き込みと引用』について4

芸術を創っている人間が狂っていないことを証明するためには、絶えず社会的な自我を表出して自身の正気をアピールしなければならない。社会的次元で狂気を表現した場合、それがたとえ真剣なものであったとしても、社会は自己を防衛する為に狂気の烙印をその…

けめくじ氏の『書き込みと引用』について

「フロイトにおける典型的な幼児退行ですね」「自閉症的でアスペルガーや発達障害の傾向がある」「精神的な未熟児であり、社会不適合者」「最初から狂気の気がありましたからね、おそらくこうなると予想してました」「言論の自由を濫用する犯罪者」「人間の…

MADE IN HEAVEN

コリオレーナスは今日も元気です。嘆願しに来る女たちは情け容赦なく追っ払いました。いまやすべてが晴朗です。ただしバイキンマンだけはどうにもなりません。何回目をつぶしてもダメなのでわたしとしては神に祈って視力をよくしてもらいたいと思います。た…

忘却の明晰さとしての永劫回帰2

・生きた貨幣の状態は永続的な状態として存在するのだろうか。それとも瞬間的な生成にすぎないのか。それは目標であり、批判されるべき対象であり、使用される価値であり、享楽として破壊される対象なのではないのか。もしあらゆる人間が生きた貨幣になるの…

忘却の明晰さとしての永劫回帰

「ところで明晰さとは―――(つまりそう主張され、そう認められているものと、隠された実在とのあいだには、完全な不一致があるという思考のことだが)―――ニーチェにとっては、生の反対物、力の衰弱現象のことではないのか。まさしく真ならざるもの、人間とい…

金儲けの哲学3

サドが盗みを合法化したことは、私有財産というものの本質を彼が富めるものの貧しいものに対する搾取であると考えていたことをはっきりと示している。フーリエは「私がありのままの自然が私に与えてくれた盗む権利の代わりに、必要な道具と生活手段の前貸し…

金儲けの哲学2

「善の領野は権力の誕生です。善の好き勝手な私有という概念は本質的なものです。この概念を前面におくと、成り上がり者たちが、その人生のどこかで好き勝手に私有するという復権要求の意味がすべて明らかになります。このことが実際の歴史において何を意味…

金儲けの哲学

「産業的製造の世界において、魅力を形成するのは、本性的に無償であると思われるものではもはやなく、本性的に無償であるものの価格なのである。情欲(伝達されないもの、あるいは伝達不可能であるもの)は、各人がそれを体験しうるという意味で、最初は差…

我らヒュベレボレアス族

いったい人はいかにして本を読まなくてすむようになるのか。逆になぜ私は本を読みたいと思うのか。もしかしたら現状を打破できるような知識や表現が身につくかもしれないと思っているからだ。そのために自身のことを考えることをおろそかにしているのではな…

不正な富の友としてのキャラクターカード4

「人間は、どこかにやってくるとすぐに、そこに監獄と売春宿を、つまり欲望が本当にあるような場所を造ります。そして何かを、よりよい世界、未来の世界を待ち望むのです。人間はそこにいて、夜を明かし、革命を待ち望みます。しかしとりわけ、人間がどこか…

不正な富の友としてのキャラクターカード3

普遍的な貨幣であること、その貨幣で欲望を満たすことができるということ。普遍的な欲望の対象はやはり「女」だが、女を欲望の対象として認識しようとする瞬間に「女」は存在しなくなってしまう。少女とは女の可能性を代理=表象するが故に、流通の、貨幣の…

不正な富の友としてのキャラクターカード2

「みずからを与える道を見いださなかった女は、みずからを売る道を見つける」という、スタンダールが引用した楽屋内での諺を裏返してニーチェはこう書く。「誰も彼女を与えてもらいたいと思わない、だから彼女は身を売らざるを得ない!」このようなかたちで…

不正な富の友としてのキャラクターカード(WIXOSS考察)

「運命においてのみ読み取ることのできるような、貨幣の特定の構造があるのではないだろうか。また貨幣においてのみ読み取ることができるような、運命の特定の構造があるのではないだろうか」(ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論Ⅲ [O3,6]』 「賭事とは、…

有効な時間の使い方

「利用されるということは本性上功利に属することです。もし私が私の手近にいる人よりもわずかの時間と苦労で何かをすることができるなら、自然に私はそれを彼の代わりに行なうことになるでしょう。こうして私は、隣人の中でも最も近い人、私のうちにある隣…

書き込みと引用

なんらかの意味で奇跡がつまり救済のパロールがあると信じることは、どのような結果をもたらすのか。救済のパロールには持続力はあっても実行力がないため、そのパロールを信じ始める時点からあらゆるディスクールがあなたを「迫害」するようになる。人はた…

見えない女性3

別の表現で記述する場合、はるかに政治的に危険なものとなる。ここで問題にしているのはもちろん「汝の隣人を汝自身のように愛せ」だが、ラカン的に「汝の症候を汝自身のように愛せ」と言い直したほうがわかりやすかもしれない。「女は男の症候である」「真…

見えない女性2

このようにして貨幣が人格の同一化の目標として措定されるのだが、命のない貨幣とは違い、生きた貨幣にはまだ中性的な機能を獲得してはおらず、二つの性によって区別されなくてはならない。ただしその区別の仕方は、貨幣の同一化の異なる二つの方法といった…

見えない女性

「産業が、みずからイニシアティブをとっておこなうことすべての原則としているのは、あらゆる人間現象は、あらゆる自然現象と同じ資格で、経済的に利用可能な素材として扱うことができる、したがって価値の変動に、ひいてはあらゆる実験の偶然に従属させる…

自慰の商品価値2

フロイトはまたしてもこの点に関して先見の明のあることを言っている。フロイト一流の誠実で慎重な言い方を持って、自慰は精力の減少させることよって、残酷な欲動をおさえ、性的節度や社会的規範を守りやすくしてくれるというのである。女性の自慰について…

自慰の商品価値

「けだしわれわれは皆、つぎのような判断においては一致しているのでありますから。すなわち、自慰というテーマは疑いもなく無尽のものを蔵しているという判断において。」(フロイト『自慰論』) 自慰に商品価値があるというのはどのような場合であろうか。…

結婚における子供の機能4

子供が社会生産の流通関係に入るためには、正義のヒーロー(アイドル)になるか軍人になるかのどちらかしかない。正義のヒーロー(アイドル)か軍人になることがなぜ子供にとって必然的かというと、社会的な道徳規範を持たずに社会に入るためにはその両者以…

結婚における子供の機能3

「女たちの大きな欠点、多少とも男の名にあたいする男にとってもっとも不愉快な欠点は、感情ということでは大衆は低級な観念にしか到達しないもなのに、彼女らは大衆をもって生活の最高の審判官としていることである。もっともすぐれた女でさえそうだ。多く…

結婚における子供の機能2

萌え絵とはフェミニズムの症候なのではないのか?近代的な過敏と神経衰弱に対する処方箋としての残酷なもの、無邪気なもの(白痴的なもの)、技巧的なもの。つまり神経衰弱にかかっている女性への治療薬、あるいは男性が女性信仰を維持するための必死の手段…

結婚における子供の機能

結婚の第一次的な役割とはやはり子供を生産することである。子供は本性上流通において、媒介物としての機能を持ち、複数の社会領域をまたぐ価値の源泉として、家族と家柄の勢力拡大に貢献する。しかし一度子供に個人としての役割を付与し、家族や家柄の概念…

植物的幽霊の気晴らし2

感謝する―――しかし一体何にか?コンピュータにでも感謝を捧げるのか?そのための祭司は腐るほどある。東方projectにおける巫女と魔女。コンピュータは降霊術として最高の成功を収めた。巫女がそのために呼び出されたのはいうまでもない。ところで魔女の方は…

植物的幽霊の気晴らし

文字だらけで絵も音楽も写真もデコレーションもない暗い雰囲気のブログ。けめくじだけが生息している。実際学問とは本の芸術である。本になっていない学問は、なにか重さを感じない。それはジャーナリズムになっしまう。キットラーが残っている言語芸術は娯…

大衆宣伝の技術

宣伝における効果を挙げるための前提条件。 ①宣伝は目的であるか手段であるか?―――宣伝は手段である。ゆえに宣伝はその目的に合うように有効に適合しなくてはならない。 ②宣伝を行なうのは誰に対してか?学者か大衆か?―――大衆である。宣伝は学問ではなく、…

学問とは何のためにあるのか2

「学問は決して誰にでもわかるものにはなりえない。なぜなら誰にでもわかる証明など存在しないからである。したがって誰にでもわかるのは、学問の成果についての報告と、公共の福利にとっての結果だけにすぎない。」(ニーチェ『遺された断想 1871年9[66]』)…

学問とは何のためにあるのか

「自分の青年時代、たとえば学生時代を思い出しては溜息をつくような人々は、私には驚きのほかない。それは、彼らがより不自由になったということ、あの頃のほうが良かったということのしるしだろう。私が感じているのはまさにこの逆で、少年時代や青春時代…