風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

ピンキーの爆発現場

・私は自身の商品価値を(あるいは人格的価値)を示す為に、自分がいかに正しく神的で、正義に基づいており、私自身の正義のために多くのことを断念しているかということを見せびらかしたいと思う。誤解しないでもらいたいが、私が世の中に不満を持ったり、人を助けたいと思うのは、自分の価値を表現したいと思うからであってそれ自体としてそんなことを良いと思っているわけではない。私は知識人に対しては「私はこれだけの学問や文学や教養を学んできました」と言って取り入り、大衆に対しては「これだけのサブカルチャーを消費してきた」と言って取り入りたいと思う。これがとりあえず戦略的な私の趣味である。
・ところで私は花火師ではなく花火そのものであり、きれいに眺められるために存在している。私は現代の人間(とくに一切の「日本精神」)から見下されることを最大限に求めたいと思う。おそらく見下される可能性が高くなればなるほどそれだけ権威と神聖さが高まると考えてよい。これ以上自分を低くできないほど傲慢であること。日本的に謙譲であることは私の力に余ることである。神に願うことは毎日のパンと健康と天国に入るための一軒の家、それだけで充分であり、あとは自分で手に入れればよいものばかりだ。まちがってもでかい鼻とか荷物に縛り付けられたりしないように気をつけている。
・「新しいアイデア」、つまり他の会社を出し抜くための金儲けの知識だが、私としては新しいものではなく古くから必要とされており、これからも必要であるような知識を求めたいと思う。もちろんこれも金儲けの戦略の一部である。新しいものは古いものの反復を通じてのみ生まれる。
愛国者とは、その国に住んでいるという事実以外にとりえがないことを誇っている連中の総称である。他のあらゆる民族、党派、階級などにそれがあてはまる。現代人をローマ人と誤解してはならないのである。
・名声とは神の地位に就きたいという欲望であるが、本当は名声さえ捨てれば神になれるのである。というのも神の地位とは余計な原理だからである。神の視点に立つことはできなくとも神になることはできる。だからこそ名声は賢者の最後の欲望といわれるのだ。
・自分が失敗をする可能性を普遍化して、誰でもミスはあるのだから気にする必要はないということは失策行為の洞察を無視することである。フロイトが言いたいのは、その些細なミスこそが、その人の欲望にとって成功であり、形を与えたものであるということである。通常通りうまくいくことが成功だと考える限りその人は可能性を維持する。人はミスをしないように気をつけますと言って、自分の欲望を禁止するのである。