風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

壊変の錬金術

このウランから鉛への壊変の事実からはボイルの元素の定義に従えば、ウランを元素と考えてはならないことになる。しかし、原子番号による新しい定義によれば、それはやはり元素であった。結局のところ、原子は実際に不可分のものではないのであるから、元素は必ずしも不変のものではない。このことは、はるかに高度の学問的意味においてではあるが、昔の錬金術師の考えに戻ったことを意味する。(アイザック・アシモフ『化学の歴史』)

必殺技の壊変2

・デュオニュソスの巫女とコンピュータの巫女。殺戮と無関心によってしか祈ることができない。核兵器と神を重ね合わせ自分のカードを信じること。あらゆるものから声が視えるのはあらゆるものから価格が剥がれ落ちて剥き出しの空虚をさらしているからだ。放射能に汚染された人間は食べられない。
・哲学者の密室ではなくハムレットの密室が問題なのだ。もちろん商品だって欲望を閉じ込めているわけだがカードによって声が閉じ込められると必殺技を使わないわけにはいかなくなる。人間を殺すことを声で反復するのは神々への供物になる。ここから核兵器に壊変された人間は人類への帰属を剥奪される。
・哲学はどこから始めてもよいが最低限の礼儀として完全に間違っているところから出発しなくてはならない。しかしハムレットの場合はどこにいっても始めようがないので取り合えず模倣してみなくてはならない。商品は生産されてから売られるまでを消費者の神託の宿命に身を預けている。
・アニメ「サイコパス」のシビュラシステムにおけるドミネイターのアナウンスは照準を定めて標的を排除することで社会システムの安定化を図っている。この場合人間はただの人形であって彼らが人間を殺すことにはいかなる意味も伴わない。牧島が主張しているのはまさにこの事だ。だから必殺技がいるのだ。

必殺技の壊変

・人類を食糧として効率化する文字通りの意味での兵站戦略が開始されたのは神々が二進法を採用してからのことなのだが、人間を単に食べるというのではあまりにも不味いので色々と注文がだされるようになった。例えば軍用兵器の娘に結婚したいと言わせるとか自発的に食糧になる人間を募集するとかである。
・メディア上の怪物を食糧とする冒険者達は裕福な人々の預金通帳という黄金を狙うロマンチストか世論という迷宮に潜って小説投稿サイトを拠点とした市民社会に対する植民地戦争を開始した。憐れな民衆はゲームで電子化されたアイテムを手に入れるが、肝心の財産は冒険者たちの餌食となるのだ。
・市民社会が存在しないという形式で存在するのは植民地になった民族に共通だが、それをメディア上の領土によって奪還するための再植民地化戦争においては芸術上の質(あるいは評価や人気の不正)が問題なのではなく、どうしたら文字によって敵の財産を略奪することができるかどうかにかかっている。
・つまり私は二重の意味で間違っていた。芸術的に反動だと評価するのはどうでもいいという点で間違っており、それが商品として売れるのだからしょうがないと内心考えていた点でも間違っている。これは作品のすべてが質的に悪いというわけではないと主張しても結局間違っていることになる。
・まず問題の出発点に戻ろう。後期資本主義の命題はいかに若者に創造力を最大限発揮させたまま安い労働力を維持するかということにある。反抗のシステム化は企業によってスターリン主義になるまで推し進められているが、その結果従順だが自分で考えず言われたことしかやらない連中が主人公になった。
・仲間と一緒にいれてそこそこ快適な生活を規格化された夢に向かいながら維持することは企業の要請と完全に一致する。若手イデオローグはこのことをそろって称賛してきた。しかしオタクの問題はそう単純ではなかった。趣味の過剰は危険要素になり得る。それが純粋な消費活動であったとしてもである。
・オタクが囲いこまれたのはリアルの楽しさを教えられることによってだった。本来オタクの政治的賭金はその気持ち悪さにあった。これがよく理解されるのはエロゲー美少女ゲームになっていったことである。魔法少女における人間のエネルギー論的考えはメンヘラの夢を決して覚まさせないことに傾倒した。
・同人はいつの時代でもそうであったように世間や金銭に煩わされることなく自由な表現を求めるための共同体を創設するための手段であった。仮に動画サイトが多くの流通を促進したとしても本質的には芸術表現の方法がすべてであって、その結果が企業のメディアミックスに飲み込まれた多くの作品である。
ラカンは分析において欲望の起源である幼児期の多形倒錯が何らかの目標に収斂するように罪悪感を縮減しようとすると倒錯を飼い慣らす寛容な道徳に行き着いてしまうと警告している。問題なのは人間の創造力を貨幣を基準にした商品生産に向かわせるべきなのかそれとも別の基準があるのかということである
・実際のところ上遠野浩平西尾維新のレベルではこのことに失敗したように思われる。つまり物語が問題である限り商品生産は正しいのである。これこそライトノベルが主張してきたことにほかならない。私はこのレベルでは企業に反対する理由はまったくない。問題はこのことを普遍化しようとする試みにある
・そもそも創造力は重要なのか。普通の生活だけで十分ではないのか。もちろん私が言いたいのは常に多様で洗練されたライフスタイルをという口実で生物学的知見を産業社会のアナロジーに見立てて地球どころか他の惑星すらも人類という統一された文化理念でエコロジー的開発を行う衝動のことである。
・世界の終末や人類の絶滅はもはや暇潰しでしかない。暴力の解放は事故やテロリズムのスペクタクル映画で繰り返し見られるようになっている。商品の形式は単なる口実にすぎないのだろうか。それともこれは自我の解釈であって人間の声に意味を与える方法なのだろうか。神々をカードで召喚すること。

壊変性楽器による声の召喚12

・学問研究は何のためにあるのか。それは学問研究を続けることにある。これは経済がどのように安全に資産を管理できるかから出発して所有権は安全でなければならないという結論を導きだしたのに似ている。カントがもし学者たちに実際に理解されたら学問はヘーゲルのように宗教にするしかないのである。
・あるものが所有されることに価値があるのはなぜなのか。使用するため、交換するため、破壊する(享楽する)ため。但しこれがうまくいくには人間の生活が消費活動であると見なされる必要がある。そうでないと貨幣が交換価値として普遍的になることはできないのである。
・人間は自分が生産した道具を必ずしも売りにださなければならないわけではない。しかしむしろ人間は生産的でなければならないわけではないということこそ重要なのである。実際あらゆる職業が生産性のために行われるようになったのは情報生産と消費がメディアによって両立するようになってからである。
・これをもっと簡単に言うとこうなる。人はパン屋をやっているからパン屋なのであって、パン屋で生活の糧を稼いでいるからパン屋であるわけではないのだ。借金を踏み倒す以外の選択肢として人間を一般的な労働力として扱うこと。これはなぜ近代において奴隷が許されないのかのかの理由である。
・そもそも人間の労働に対価を払う必要などない。しかしこれでは人によって態度は様々であって効率的にはならない。分け前の問題は歴史記述そのものになるほど厄介なのである。各人に同一の対価を平等に約束するなら同一性を計量するための貨幣が必要である。しかしそれで各人が同じ労力を使う保証はない
・仮に各人の労力を公正に判断する方法があるとしよう。それで同一の貨幣を渡した場合貨幣の価値は無である。では人間同士の能力の差異で計算をやり直すべきなのか。この場合貨幣とは別の評価が必要だがそうすると労力を公正に判断するというのは単なる口実になってしまう。
・ではこの不平等を是正するための社会的保障を与えるというのはどうか。貧乏人とは貨幣における公正な評価において価値の低い人々を指すわけだが、もしそうなら福祉は貧乏人に貧乏人であり続けるために保障を与えるのだということになる。ちなみ事業者の失敗の保障はいつでも公共政策なので問題はない。
・知的財産とは何か。まったくわからない。なぜならもし私が知的財産を理解したら知的財産の知的財産は失われるからである。私は詭弁を弄しているのではない。試しに現在の世の中でどうして気のきいた本というものがないのか想像してみればいい。言論の多様性は商品生産に絶対に必要である。
・問題は人間が芸術の大量生産によって決して満足することがなかったということにある。自分で自分のための芸術を創ることができるようになったというのは産業社会における貴重な勝利の一つだが、それでさえ今やまったく大したことだとは思われなくなっている。才能ではなくて意味が欠けているのだ。
・哲学はそれがいかに明晰であろうとそれ自体ではまったく無力であるという弱点がある。それは人を慰めることができずただ説明をするだけにすぎない。ある意味では思考の特権を保持しているだけだとすらいえるだろう。思考から錯乱を導きだすには音楽の方がいいのはわかってもわかっているだけではある。

壊変性楽器による声の召喚11

・人間が善く生きるためには死後の生活が幸福になることを心がけるべきだというのは正しい。但し仏教は地獄や輪廻が精神上の出来事であるということを知っているがキリスト教は悪魔が地獄で苦しんでいる姿を自分の目で見たいと思っている。これはメディア上の忘却においても同じように当てはまる。
・人間は地獄において平等であり素晴らしい立派な人間は天国に行くべきだということはどのように実践されるのか。まず地獄の狂気と悲惨を憎悪で発酵させ物語を創造することで人気を獲得する。次に忘却や無視に対抗するために犯罪やスキャンダルを起こす。最後に人格的に更正して社会に復帰する。
・食糧を各人に必要な量だけ補給するという兵站の問題は人間を労働力として計算できるように管理と監視を行うことで初めて可能となる。しかし問題がグローバル化すると一国の軍事戦略では人類を餓死と無視から救うことはできないということがわかった。民間人に爆弾と食糧を空から与えて難民にすること。
・空からクル!乙女爆弾が原子力発電所に電撃的に炸裂してアイドルとしてデビューしたからにはキャラクター難民をありとあらゆる方法で救わないわけにはいかない。というのも国民を難民にするには誤爆より事故の方が効率的だということがわかったからである。
・もちろんゲリラライヴによって大衆を会場に収容して地方(痴呆)を活性化させることもないではない。ただスマートフォンによる声の収容の方がより包括的でより普遍的であり、より人々を冒険者にせざる得なくしたというにすぎない。人形が動き出して人間を殺し始めるというのでは普通すぎるのだ。
・何も与えない者は何も受け取らないか自らを売って労働の対価で自分を増やそうとするだろう。食糧と爆弾の両方を与えられて命を賭けた自爆を行わないのは恥知らずというわけだ。国連が残骸にすぎないといっても廃墟にするだけの価値はあった。ただこれで得をするのはアメリカや軍隊だけなのは確かだ。
・日本ではこれほど好都合なことが起こると期待するのは難しい。なぜなら地震津波や火山の噴火、あげくのはてに原子力事故を越えるテロリズムを起こさないと象徴にならないからである。オウム真理教秋葉原の無差別殺人すら消費されたのだから沖縄の基地問題を除けばオリンピックぐらいしかない。
・オリンピックに人気のアイドルを象徴として起用し事前にテロの不安を煽っておき開催間近に警備のせいで消費者が集まらないという世論を形成して自作自演にしろ偶然にしろテロが起こればテロに屈しないアイドルの名目で対テロリズム戦争を国民の賛意で緊急事態のまま始められるのではないか。
・これはあまりにできすぎているとはいえ、いままであらゆる映画が単なる時代錯誤になってきたことを考えるとアニメが現実化するあるいはその意志を持つというのはかなりありそうに思える。それに日本政府がアメリカの意向に対抗できる政治戦略を持っていると考えるのは楽観的すぎるといわざるをえない。
・問題の本質は国家が国民の安心できる生活を与えるべきだという主張にかかわっている。つまり国民の安全を守るためには常にテロや貧困の脅威に国民をさらさなければならない。民間人を軍人の盾にする人道的な戦争による軍事兵器への投資と経済的危機によって国家は頼るべきものになるのだ。
・しかしこういうことがわかっても何か空白のようなものが残る。実際我々は原発事故によって一切の国粋的熱狂から守られているのではないだろうか。
・そもそも現在のあらゆる政治的・軍事的ヘゲモニーをめぐる争いは核攻撃や人類にとって致命的な事故を防ぐという名目で行われているのだが、アメリカは日本にその両方をとっくにプレゼント済みなのだ。内部植民地化や無際限の軍事同盟すら受け入れているのに今さら何を主張するのか。自民党の延命。

壊変性楽器による声の召喚10

ウィトゲンシュタインの議論は口からでる声と内面の声の区別によってよく表現されるだろう。例えば「私はなぜ人間の声を聴くことができるのかわからない」。たぶんここで人格を記号として仮定し合う言語ゲーム以外に二つの選択肢があるのだ。つまり悲鳴とあえぎ声をあげさせることである。
・赤ん坊の声を聴くことと神の声を聴いて恍惚することは聴診器やテレビなどによって十分に普遍化されたわけだが、これによって声の存在論証明は性行為に依存してしまったように思える。要するに声が出る身体を欲望しなければならないわけだから。漫画は声が何を欲しているのかを可視化している。
・しかしこれだけではゆっくりに対する説明にはなっていない。家族の声というものはどのように構成されるのか。これを考えるには妹と妹系美少女の区別がどのようにつくのかを考えてみなければならない。この差異は欲望の消費の対象となるかどうかで決まる。ただし西尾維新の小説の妹には留保が必要だが。
・「母、姉、妹」「人妻(未亡人)、教師、幼馴染み」「娼婦、女子高生、人形」「女神、女王、天使」「女性労働者、アイドル、ロボット(二次元)」を美少女の基準で大量生産すること。だが恋愛結婚で父母子を大量生産することが欲望と倒錯の商品化として物語の形式になっているだけではないのか。
精神分析家にとって百合は異性愛だということは、二次創作のカップリングは家族関係の定式化の機能を持っているということではないか。メディアにおいてはBLがロマンチックな恋愛の役割を持つことはそこから理解できる。百合は現実で特定の象徴を持つかもしれないがBLは単に口実にすぎない。
・電気の共有性。電源を入れて世界を誕生させ画面にタッチすることで窓を開きアプリケーションのクラウドで他者の声を可視化しそこから創造される人格のズレをノイズとして楽しむことで物語のトレースを行い分析された記憶構造の矛盾を事故のカードとして召喚することで歴史を壊変し人類を救う。
・眠らないことを誇る人は夢を語っている。これはまさしくフロイト版労働価値説ではないだろうか。ラカンは映画で眠るように推奨している。しかしニーチェは音楽ですら眠らないのであり定期的な発狂を電波変換する必要があった。眠りながら踊ることの必要性が理解されたのはMMDのおかげだといえる。
・さまよえる夢遊病者のように迫り来る敵を殺戮するには自分の未来と希望を信じて平和と人類愛を高らかに叫びつつ虫けらのように些細な疑問を絶滅するまで諦めず踏み潰していかなければならない。これは魂の絆を結んでいる友全員の義務であってあくまで敵を相互理解を拒絶する悪として無意味だと宣言する
・「攻撃してから考えろ」とはまず敵を皆殺しにしてから罪を反省するという西洋の伝統のことをいっているのだが、これを電撃戦の普遍化によっていついかなる場所でも人類の物語とネットを通じて大衆にクーデターをさせる状況が整ったのである。この自由化は最強の監視網として世界を飛び回っている。
・人類を楽しませて存在を忘却させるにはWebによる電気の無限の生成と人類の殺戮の担保である軍用兵器の濫用によって恐怖のイメージがゲームのための記号であるキャラクターとしてデータベースをカードのデッキとして構築しつつ声の消費を人気の可視化で実況する必要があった。
原発事故はあらゆる人間を自分自身の声の実況者にした。いまや専門家も素人もなく誰でも現実についてスマートフォンというカードで実況できるようになったのだ。記事を書く、写真を取る、声の共有で拡散する。それを常にリアルタイムで同期させる。孤独が騒がれるのは知識人の自負にすぎない。
・犯罪を法の解釈で正常化し事故を科学の理論で安全化する人間の国家に対して自分の存在を忘却させても敵との戦争によって物語の観点で平和を求めようとする魔法少女と存在の忘却を幻想の次元で遂行することで解決されるべき異変というゲームを食糧と行う異種族の少女。ただしこれではまだ否定にすぎない

壊変性楽器による声の召喚9

・ハネケの『ピアノ教師』。常に絶対的な規律で反抗そのものが好きなことの強要で丸めこられているがゆえに欲望を持つことができないまま欲求不満がたまるがポルノでは何の快楽も得られないにも関わらず堕落するための義務として血を流す習慣を行う。
・男性との経験は束縛の等価物だから恥辱と拒否反応にしかなりえない。自らの幻想を楽しむのは自尊心の屈辱を味わうことでしかない。しかし男性に犯されるのがどんなに痛々しくて滑稽でも日常の拷問を破壊するにはそれしかない。だからといって人を愛せるようになるわけでも趣味に逃げられるわけでもない
・ある完全な実体を仮定してそれに対応した技術の模倣によって創造的な生産を行うというのは、誕生していない声を繰り返し召喚して事故と異化効果をもたらすことと矛盾も対立もせず誤解の相互性だけがある。罠カードは忘却されることなしには発動しないという意味で楽園を想定している。欲望のルアー。
・サービスが貨幣で購入されるということは思いやりの価値が暗黙の強要から労働の交換価値に転倒したということである。人は貨幣の方が余計な気兼ねをしなくてすむからだ。これは家でゆっくりリラックスして過ごしたいという欲望を生み出す。
・これは一般的な作業についてはいえても個人の欲望にはあてはまらない。特に他人の気持ちを動かしたいという欲望にはそういえる。だからよく当たる占いとか小説家の人生論とかカウンセリングとかの悩みの相談が商売になる。ある意味では古典もこのような価値を持っているといえるだろう。
・貨幣で悩み事を解決するというのは欲望の不安に対応した負債を所有するということである。しかし資本主義においては借金を持つことは何も持たないよりよいことなのである。そうでなかったら自給自足と追い剥ぎが経済そっちのけで行われるだろう。監視社会の法権力は不正よりこちらを怖れる。
・悩みが生まれてきたことである場合、一体どのような投資を行えば満足があり得るのだろうか。幸福に生きたいならまず無際限の拷問を与えその後痴呆になる自由を販売すればいい。だが生まれてきたことは殺すわけにはいかないし生きたいと思わせるにはどれだけの宣伝をやればいいのかわからない。
・この問題が解決したのはひとえにコンピュータのおかげである。人は抽象的匿名性によって呻き声を発する場所を手に入れた。さらに痴呆化そのものをファンタジーとして消費するという方法論すら確立された。コンピュータに適当なことを飽かずに繰り返し書き込むだけで言論の生産が行われるのだから。
・下らないことを公共の場で書き込むことができるということこそ学問的知識に対するメディアの完全な勝利であった。ただそれがコンピュータに閉じこめられていた間は学者も呼吸ができた。スマートフォンは声をあらゆる場所と時間に解放した。公共の場で電話をすることがマナー違反であるという禁止命令。
・萌え声やポルノのあえぎ声を正常化する方法というものはあるのか。ボーカロイドの声はどのような一般化を果たしているのか。東方のvocalアレンジは決してそのキャラクターの声ではないことを担保とした挑戦なのか。ゲーム実況をゆっくりでやることは知識人の生放送より強力だということ。
・そもそも人間の声の区別はどうついているのか。たぶんまったくついていないのである。人まちがいをしないことに教育のあらゆる意義というものがつまっている。携帯電話が声の記憶というものを担ってからは内心の声が自我を担うことの特権性が薄れ始めたのではないのか。
・しかしそんなことをいうのは散々メディアを使っておきながら内面の特権性というより苦悩が少しも薄れないという現実があるから時代錯誤を繰り返しているのではないか。幻聴が人間の顔との対応関係がない声だとするなら携帯電話はどうして名前だけで声が担保できるのか。メールアドレスの存在だろうか?