風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

見えない女性2

このようにして貨幣が人格の同一化の目標として措定されるのだが、命のない貨幣とは違い、生きた貨幣にはまだ中性的な機能を獲得してはおらず、二つの性によって区別されなくてはならない。ただしその区別の仕方は、貨幣の同一化の異なる二つの方法といったやり方で表現される。「サドの登場人物たちにとっては、ある場合には、行為の概念よりも、刑吏の行為がさまざまなかたちで襲いかかる同じ一人の犠牲者の質が重要であり、ある場合には、多量の犠牲者に対して無差別に行使される反復される同じ一つの行為が行為の質を確定する。」(ピエール・クロソウスキー『生きた貨幣』)犠牲者は、おのれが犠牲者であるというそのことによって生殖能力を確立し、破壊可能な商品を生産することができるようになり、無差別な行為という実験を行なう科学者は、生産された商品に対する実験から得られる快楽を利用して行為の質を高めることができるのである。性的関係が存在しないとは、反復される行為の質に等しい質の犠牲者は存在しないという風に表現される。必ず行為の質は犠牲者の質を通り過ぎるか、犠牲者の質が行為を劣化させてしまうかのどちらかである。この場合、商品の実験と犠牲者に対するいろいろな使用方法の意味は実際的には等しくなるのだが、犠牲者が商品を生産するためには少なくとも犠牲者の質が使用によって前に生産された商品以上の快楽を保証するのでなくてはならない。この悪循環を抜け出すためには、存在しない犠牲者を作り出すしかない。犠牲者の質は行為の質によって破壊された商品による快楽に依存するが、商品としての破壊を快楽として利用できれば犠牲者の質は行為の質に純粋に依存するようになる。実験者の方は破壊することが行為の質を規定するにもかかわらず、破壊が商品になっている場合には、破壊を破壊すること、つまり何もしないことが行為の質を作り出すことになる。破壊可能な生産物がある限りは、その使用によって快楽を得ることが重要であったのに、生産物としての破壊が商品になっている場合は、快楽を両者で分かち合うことだけが問題となる。商品としての価値はもはや外在せず、商品生産と破壊が一致してしまい、流通が価値付け不可能になってしまうので、人格と生産物が分離している労働者にとっては至高の価値として、彼らの人格を消費しつくすことによってのみ快楽が可能となる。こうして前回の帰結と同じところに戻る。記号として流通可能になった人格は、統一体としての人格を破壊することによってのみ快楽を得るということに。