風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

不正な富の友としてのキャラクターカード3

普遍的な貨幣であること、その貨幣で欲望を満たすことができるということ。普遍的な欲望の対象はやはり「女」だが、女を欲望の対象として認識しようとする瞬間に「女」は存在しなくなってしまう。少女とは女の可能性を代理=表象するが故に、流通の、貨幣の記号となることができるのだが、本質的に禁止の形式を維持している。少女を欲望の対象とすることはできるが、行為を実現することはできない。できたとしたらそれはすでにひとりの女であり、少女ではないが故に普遍性は失われる。娼婦を流通させることは、金銭を媒介させることで決してひとりの女として扱わないようにするための手段なのだが、女を買うことができる可能性はあいかわらず命のない貨幣に代理されてしまっている。人形は定義からいってもひとりの女になる可能性はない。せいぜいごっこ遊びができるにすぎない。このように普遍的な貨幣の可能性に欲望を対応させることが不可能であるということはすなわち、あらゆる表象可能なカード(メディア)に可能なのは、貨幣となるキャラクターをどう使用するかの注釈を表現するにすぎないと断言することにほかならない。「神は名前を付けられると力は制限されてしまいますが、自我が持てるようになるのです。何にでも宿る能力を失い、妖怪とほぼ差がなくなりますが………、逆に神話によって生まれ変わる能力を得ます。」「神は妖怪と違って自分で自分の性質を変えてしまっても良いのです。性質を変える為に作られるストーリーを『神話』と呼びます。これを使って自由に性質を変えることができるのです。」(ZUN『東方求聞口授』)テキストの形式(物語、論文、情報データ)は口実であり、貨幣としてのキャラクター(「真理」も含めて)の使用方法を記述するためにのみそのような方法論は利用される。データベースの意味するところとはキャラクターの行為の集積の束というよりはキャラクターを意味たらしめる行為可能性に貨幣価値があるということである。したがってキャラクターが我々の欲望に応じて行為する可能性があればあるほどキャラクターの交換価値は増殖する。使用価値はキャラクターの強度に依存し、より同一の行為を反復させればさせるほどその強度は高くなる。問題の焦点は行為選択の可能性と行為の反復可能性は両立しないということだが、行為選択を反復するという記述において両者はキャラクターを破綻させる。その解決は身体的破滅でしかありえないが、まさにそれゆえにいっそうシニフィアン(人格記号)としての価値は高まる。「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ福音書『12、24』)だがこの解決に行き着くまでには、たとえ不純であったとしても自身の症候を利用してキャラクターを金銭などを手に入れる手段として扱かった方がいいのだ。