風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

文章

ゲーム的世界観における「自然への回帰」2

「どうして道徳的欲求を非難することがあろう。生産関係の変革など狂気沙汰だ。美のファンタスムなど我々には必要ない。我々が求めているのは幸福と平和であり、そういう労働を搾取するような理解不能な美のファンタスムを一切なくそう。我々は自身の道徳的…

ゲーム的世界観における「自然への回帰」

マルクス主義の息の根を完全に断つために、マルクス主義が広い支持を獲得しうる肉体労働者のことを考えてみよう。ここで私が肉体労働者と呼ぶのは商品フェティシズムを起こさないような商品を作る労働者、つまり、理解不可能な美のファンタスムを直接には生…

ラカン的観点から視た資本主義5

このアポリアを見事に解決するのがコンピュータだということに疑問を持つ者などいようか?コンピュータはそれが飼育ではなく使用されることによって価値を得、それが理解されないことによって交換のための道具となる。誰もが一家に一台ずつ好きな人間を所有…

ラカン的観点から視た資本主義4

以上語ってきたことのすべてが理解されるという形式において商品化しているということがソーシャルゲームの新しさだと前に私は書いた。まさに使用価値を産みだす理解不可能性の構造そのものを無料の価値として商品化すること。もはやいかなる理解不可能性に…

ラカン的観点から視た資本主義3

人を殺すことが不可能な人間はどのようにして価値を与えることができるのか。というのも人を殺すことの不可能な人間は理解されることが不可能であり、人格の所有を認めず、ゆえに使用価値もありはしないからである。この点に関してはラカンの愛の定義「もっ…

ラカン的観点から視た資本主義2

では結局のところ人を殺すことが不可能な人間は存在するのか、それはあくまで理想的な典型なのかという問いを繰り返そう。これはまったく答えられていないように思われるからである。人を殺すことができない人間は理解できないのではないか、つまり言語ゲー…

ラカン的観点から視た資本主義

「美の顕現は欲望を威嚇し、禁止するのです。美は欲望と結びつくことができないと言っているのではありません。しかし神秘的なことに、美が欲望と結びつくのは、ある用語でしか呼びあらわすことのできない形式においてです。その用語は、美に、不可視の線を…

ニーチェとプラトンの対話2

しかし目指すべきなにものも存在しないこと、そのうえであくまで哲学を考え続けるということは明白な不調和をもたらす。永劫回帰とは永遠のイデアが存在しないことと存在することのデッドロックとして要請されているものである。概念的な循環そのものを耐え…

ニーチェとプラトンの対話

永井均がプラトンは哲学者として破格に偉大だと言ったのはまったく正しかった。いったいプラトンの以外の誰がまともに善は良いことなのかという問いを考えただろうか。誰もがこのことを前提としているのではないだろうか。ところでプラトンに対するイデア論…

よい評判を得ることについて4

最後によい評判を得る能力という前提条件なしによい評判を得る方法とは何か、どうしたらよい評判を得られるようになるのかということを考えてみよう。さてまずよい評判を得るということは自分自身の意志とは別の事柄であり、またよい評判を得るということは…

よい評判を得ることについて3

次にこう考えてみよう。現実のよい評判とは実は良いものではないのであり、別の視点から見ればこれこれのものこそが真のよい評判を得ることができるものなのだ、という考えである。この手の考えはこういう風に考える。我々は現在流行っているようなよい評判…

よい評判を得ることについて2

次に考えなければならないのは、今評判はよくないけれども将来はきっと評判がよくなるのだから今評判がよいということは良いということではないのだ、という考えである。ここで重要なのはいったいどのよいに将来自分の評判がよくなるなどと考える根拠がある…

よい評判を得ることについて

人によいと思われることが良いということは、善いことと何か関係があるのだろうか。よい評判なしにそのものが良いということはありうるのか。つまり悪い評判というものは良いことではなく善いということがありうるのか。もっとわかりやすくいうと、人から悪…

認知症的認識論と普遍的不可能性

「つい最近[トーマス・マンの]『ブッテンブローク家の人々』で偶然チフスについて読んだ。そしてハンノB.が最後の病気で、どんなふうに一人の友人を除いて誰もわからなくなったかについて読んだ。そこで私の注意をひいたのは、一般に人がこのことを当たり前…

西方世界の記述

彼は人間を信じられないほど愛していたのだと思う。さながら人類が一つになってしまうぐらいに。「困ったな、これじゃ人類を愛しているけど人格とか霊を愛せない。」そこで彼は隣人を愛という暴力によって形造った。「これで安心だ。」しかしその隣人は形造…

ゲーム世界の住人

ゲーム世界の住人になってどれだけの年月が経っただろう。初めのころは、のっぺらぼうのような顔をした住人がひたすらわけのわからない言葉で話しかけてくるので適当に相槌を打つだけで終わった。とてもじゃないが逃げる気力がわかなかった。やがてそのこと…

ユディトとホロフェルネス

ホロフェルネス率いるアッシリア軍がイスラエルに対して宣戦布告し、そのための戦略として水源を断ち、ユダヤ人たちの水がめの水もなくなり、神が五日の間に救ってくださらなければ、投降しようと代表者たちが会議で決めたとき、ユディトとしては神の律法を…

トマトケチャップ皇帝の統治

「とくにルソーが提起した「幼年期とは何か」という問いはきわめて重要である。これに対してフロイトは、次のように応じている。幼年期とは、欲望において、また欲望によって、さまざまな対象のさまざまな表象に結ばれた快楽の行使において、またそうした行…

アプリゲームにおけるゲーム内貨幣の概念2

課金と行動制限においてまず問題となるのは時間が貨幣と交換可能なものとして見られているという事実である。このことは時間が決して生成変化するものではなく定常性に基づいているという考えを持っていることを意味する。これが意味するのはキャラクターは…

アプリゲームにおけるゲーム内貨幣の概念

「欲求のヒエラルキーとは、抑圧の経済的形態にほかならない既存の諸制度が、基体の心的活動が持つ計測不能の諸力に対して、基体の意識を介して、基体の意識によって行使する抑圧の、その経済的形態にほかならない。」(ピエール・クロソウスキー『生きた貨…

空虚について

モンテーニュ『エセー 空虚について』。乱世においては怠惰な文章や無益な文章が氾濫し、大量に書きなぐられる、とモンテーニュは言っている。彼は自分も含めた無能な作者の追放ということまで国家はやるべきだと言っている。果たして文章が大量に書かれた時…

殺人と非殺人の人間関係

人間を殺すことはいかに不可能であるかということ。西尾維新の『悲鳴伝』において必殺グロテスキックが決まったのはどのような状況だろうか。ここで注目に値するのは「一人を殺しすぎる」と「一人をちょうどよく殺す」ことの差異についての言及である。「地…

哲学のうわごと繰り言独り言

「老年は青年期の夢を実現する。スィフト(Swift)がそうだ、彼は若いころ精神病院を建て、年をとって自分がそこに入った。」(キルケゴール『これか‐あれか』)ダグラス・アダムスの「ほとんど無害」で登場した家の内装と外装が反対の家に住む家の内部にい…

「グラスリップ」のようなアニメはいくら尊敬しすぎても尊敬しすぎるということはない2

官僚制化に反対するということは今日の交通文化、つまり旅行や電車などの輸送機関、コンピュータによる電子化と自動車専用道路、ありとあらゆるコンビニやショッピングセンターなどに反対するということに等しい。我々の見ているあらゆる町並みと景色が破壊…

「グラスリップ」のようなアニメはいくら尊敬しすぎても尊敬しすぎるということはない

「フコウナキョウグウデモガンバッテイルヒトハイルシャカイハワルクナイオマエガワルイフコウナキョウグウデモガンバッテイルヒトハイルシャカイハワルクナイオマエガワルイフコウナキョウグウデモガンバッテイルヒトハイルシャカイハワルクナイオマエガワ…

マックス・ウェーバーの独裁者5

「では結局あなたはナチを擁護しているのですか?」そうではない、と答えたいところだが、私の答えはマルクス主義や人道的に見た場合にはナチを擁護しているということにならざるをえない、ということにある。これは実際のところ現行秩序にとっては同じこと…

マックス・ウェーバーの独裁者4

ということは記述的にはこのことは行き詰まりだということだろうか。権力への意志からだ、と言ったところでこれがカントやヘーゲルから見て幼稚な還元論以外に見られる可能性はまずない。結局私はジジェクに賛成する気はないし、それに対する解釈が他人に説…

マックス・ウェーバーの独裁者3

マルクス主義を手段として、権力として利用することが問題なら、マルクス主義だけを採用する必然性などない。そしてこの考え方が一切の相対化をもたらしナチズムに有利な正当化をもたらしているという反論があるのなら、それこそ教条主義的なイデオロギーだ…

マックス・ウェーバーの独裁者2

この点に関してはスターリンの方がうまくやっていっているかもしれない。ジジェクの言うところによればだが、下層階級の人間を使ってつねに地位のある官僚たちの「陰謀」を密告し、地位を交代させるということを制度化したからである。スターリン主義が「偉…

マックス・ウェーバーの独裁者

政治とはなにか?ウェーバーの簡潔な定義から始めよう。それは「闘争であり、同志と自発的追随者を徴募する活動なのである」(マックス・ウェーバー『新秩序ドイツの議会と政府』)。政治闘争とは本質的に専制的であり、専制者同士の権力闘争である。これは…