風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

西方世界の記述

彼は人間を信じられないほど愛していたのだと思う。さながら人類が一つになってしまうぐらいに。「困ったな、これじゃ人類を愛しているけど人格とか霊を愛せない。」そこで彼は隣人を愛という暴力によって形造った。「これで安心だ。」しかしその隣人は形造られた瞬間から不満であり、彼に対して死ぬほどの憎悪と憤懣を抱いていた。「どうして私などを造ったのだ。ああ、苦しくてたまらない。」そこで彼はまたもや愛から罪を造り出し生きる目的を与えた。彼はこれで人間を愛することになるのだと思った。「とんでもない!これじゃますます苦しいだけだ!いやでもこの苦しみはなかなか気に入った。だからといってお前なんぞ認めるものか。」彼は悲しい表情をしてこう呟いた。「私の霊が造り出したものは不満だらけだ。私も苦しい。だがしょうがない。もっとよく愛するとしよう。」そこで彼は十字架にかかって隣人の憎悪の意のままにした。「ちょっとまってくれ。そんなことをされたら苦しみが永遠になってしまう。ばか早まるな。不満をそんなまじめに受け取るな!」そうは言っても手遅れで、彼は十字架によって愛から罪を償ったということになってしまった。「いったいどうしろと?ちょっと不満を漏らしただけでこれだよ。あんな簡単に死ぬなんておかしい。彼の愛は私を固定する。ああこんなことを伝えていかなくてはならないのか。」隣人はせいぜい彼の猿真似ができるに過ぎなかったが、それでも勘のよい人はこのことをよく理解したので、次々と十字架に赴いた。こうなると隣人の立場はいっそう苦しくなった。「いったいあれほどの愛に不満を抱かない人間がいるとでも?しかたない、私も諦めてせいぜい人を愛するとしよう。」そこで隣人は人間を愛したのだが、それは人間に対する無関心からだった。人間などどうでも良かったが、ほほえましい程度の愛は与えた。それは隣人を形造るものではなかったけれども。「隣人は人を愛していない」人々はこう非難した。隣人は無関心だったのでその非難を無視して愛し続けた。彼は人間をどうともしようとしなかった。そこにはただ影絵芝居と夜があった。おそらくそれは隣人を生み出した彼に対する復讐だったに違いない。隣人は多くの人々を愛したあとひっそりとくたばった。