引用
「愛において女性の存在証明はいかに可能か、と。彼(アラン・バディウ)の回答は、それが可能になるのは、女性の身体によってでなければ(そうしたポルノ的な存在証明は曖昧で、愛を密通と区別のつかないものとしてしまう)、結局は蒙昧主義に終結すること…
「あらゆる反対の声を押し切って十分きびしく推進するなら、支出削減と増税は公共・民間の支出を減らし、総需要―――あらゆる財、サービスに対する需要―――を削減するでしょう。しかし財政政策は差別的な効果を持っています。そしてそれは経済のさまざまな部分…
「欲求のヒエラルキーの中で、エロティックな享楽は「性的」欲求―――つまり、基本的ないわゆる家庭的諸欲求のの土台である家族を作ることへの不変の欲求―――と混同される。本来の意味でのエロティックな享楽は問題にされない。それは悪徳の位置におとしめられ…
「さて、生産過程のなかで占める位置に従ってではなく、自らの意志や志操、あるいは素質によって定義される類型としての「精神的人間」という構想がどこに行きつくのかが、ここでは手に取るように明らかです。デーブリーンが述べるところでは、精神的人間は…
「ニーチェの思想の研究において、黙過されてきたと言わないまでも、これまで充分に明らかにされなかった二つの本質的な点に留意したい。第一点は、彼の思想が、その展開につれて、単に思弁的なものだけの世界を棄て、陰謀の下準備の様相を、擬装するとは言…
「芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。」(蓮見重彦『凡…
「浪費や狂気は全体としての集団においては正常なものである。そうでなければ個人の意向に従うことになるからだ。集団性の保持のためにはより少数のものを犠牲にするということはこの観点から導き出される。集団、あるいは人類としての種は粗雑な誤解であり…
「ところで明晰さとは―――(つまりそう主張され、そう認められているものと、隠された実在とのあいだには、完全な不一致があるという思考のことだが)―――ニーチェにとっては、生の反対物、力の衰弱現象のことではないのか。まさしく真ならざるもの、人間とい…
「尊厳税。―――医者であれ、芸術家であれ、工匠であれ、われわれの知っているひとやわれわれの尊敬するひとが何かわれわれのためにしてくれ、また働いてくれるとき、われわれは能う限りの高額を、しばしばわれわれの資産以上をすら、快く支払うものである。と…
サドが盗みを合法化したことは、私有財産というものの本質を彼が富めるものの貧しいものに対する搾取であると考えていたことをはっきりと示している。フーリエは「私がありのままの自然が私に与えてくれた盗む権利の代わりに、必要な道具と生活手段の前貸し…
「善の領野は権力の誕生です。善の好き勝手な私有という概念は本質的なものです。この概念を前面におくと、成り上がり者たちが、その人生のどこかで好き勝手に私有するという復権要求の意味がすべて明らかになります。このことが実際の歴史において何を意味…
「産業的製造の世界において、魅力を形成するのは、本性的に無償であると思われるものではもはやなく、本性的に無償であるものの価格なのである。情欲(伝達されないもの、あるいは伝達不可能であるもの)は、各人がそれを体験しうるという意味で、最初は差…
「人間は、どこかにやってくるとすぐに、そこに監獄と売春宿を、つまり欲望が本当にあるような場所を造ります。そして何かを、よりよい世界、未来の世界を待ち望むのです。人間はそこにいて、夜を明かし、革命を待ち望みます。しかしとりわけ、人間がどこか…
普遍的な貨幣であること、その貨幣で欲望を満たすことができるということ。普遍的な欲望の対象はやはり「女」だが、女を欲望の対象として認識しようとする瞬間に「女」は存在しなくなってしまう。少女とは女の可能性を代理=表象するが故に、流通の、貨幣の…
「みずからを与える道を見いださなかった女は、みずからを売る道を見つける」という、スタンダールが引用した楽屋内での諺を裏返してニーチェはこう書く。「誰も彼女を与えてもらいたいと思わない、だから彼女は身を売らざるを得ない!」このようなかたちで…
「利用されるということは本性上功利に属することです。もし私が私の手近にいる人よりもわずかの時間と苦労で何かをすることができるなら、自然に私はそれを彼の代わりに行なうことになるでしょう。こうして私は、隣人の中でも最も近い人、私のうちにある隣…
このようにして貨幣が人格の同一化の目標として措定されるのだが、命のない貨幣とは違い、生きた貨幣にはまだ中性的な機能を獲得してはおらず、二つの性によって区別されなくてはならない。ただしその区別の仕方は、貨幣の同一化の異なる二つの方法といった…
「産業が、みずからイニシアティブをとっておこなうことすべての原則としているのは、あらゆる人間現象は、あらゆる自然現象と同じ資格で、経済的に利用可能な素材として扱うことができる、したがって価値の変動に、ひいてはあらゆる実験の偶然に従属させる…
フロイトはまたしてもこの点に関して先見の明のあることを言っている。フロイト一流の誠実で慎重な言い方を持って、自慰は精力の減少させることよって、残酷な欲動をおさえ、性的節度や社会的規範を守りやすくしてくれるというのである。女性の自慰について…
「けだしわれわれは皆、つぎのような判断においては一致しているのでありますから。すなわち、自慰というテーマは疑いもなく無尽のものを蔵しているという判断において。」(フロイト『自慰論』) 自慰に商品価値があるというのはどのような場合であろうか。…
「女たちの大きな欠点、多少とも男の名にあたいする男にとってもっとも不愉快な欠点は、感情ということでは大衆は低級な観念にしか到達しないもなのに、彼女らは大衆をもって生活の最高の審判官としていることである。もっともすぐれた女でさえそうだ。多く…
宣伝における効果を挙げるための前提条件。 ①宣伝は目的であるか手段であるか?―――宣伝は手段である。ゆえに宣伝はその目的に合うように有効に適合しなくてはならない。 ②宣伝を行なうのは誰に対してか?学者か大衆か?―――大衆である。宣伝は学問ではなく、…
「学問は決して誰にでもわかるものにはなりえない。なぜなら誰にでもわかる証明など存在しないからである。したがって誰にでもわかるのは、学問の成果についての報告と、公共の福利にとっての結果だけにすぎない。」(ニーチェ『遺された断想 1871年9[66]』)…
「自分の青年時代、たとえば学生時代を思い出しては溜息をつくような人々は、私には驚きのほかない。それは、彼らがより不自由になったということ、あの頃のほうが良かったということのしるしだろう。私が感じているのはまさにこの逆で、少年時代や青春時代…
「思想的に理解すれば、日本の絶対主義権力は、庶民に対しては「封建制の異常に強大な諸要素」を前面につき出して飼いならし、コミンターン・テーゼを至上の要請とした「前衛」にたいしては、「独占資本主義のいちぢるしく進んだ発展」を前面につき出して、…
「しかしあなたは普遍的なゲームの法は総力戦だと言っていたではないですか!」。その通り。私はこの普遍的なゲームの法という考えはまだ科学的方法論に則っていると主張する。なぜならそれは万人に当てはまるゲームを実験によって探し当てようとする方法論…
「ニーチェの生涯のさまざまな証人たちが、彼のいわゆる病的な諸傾向について証言してきた。最後の「明晰な」十年間のあいだ、ニーチェにとってもっとも誠実で信頼できる親友であったオーヴァーベックは、どれほど慎重を期そうとも、ニーチェの崩壊の要因を…
「アベノミクスが失敗していることは、最近の経済指標が軒並み悪化していることで明らかだが、まだ、国民周知の事実になっていない。しかし、このままなにもしないと、それが本当に国民周知になる。すると、12月に予定されている「消費税再増税」も流れる。…
「ガルブレイスの言い方をかえれば、大衆的な貧困はどこでも第一次産業(農・漁・林)のところで起こることになる。極端にいえばここでは貨幣が介在しないで生産の循環が可能だから、また極端にいえば「着のみ着のまま」「ただ生きているだけ」の衣食住の条…
「サドの論理はおよそ次のようなものである。つまり諸制度は、身体の交換のかわりに通貨という、中性的でしたがって曖昧な記号をつかった財の交換を置くことで、個人の自由を、つまりは諸人格の完全性を守ることができると主張する。しかし富の流通を隠れ蓑…