風鈴神社

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吉本隆明『ハイイメージ論Ⅲ エコノミー論』

ガルブレイスの言い方をかえれば、大衆的な貧困はどこでも第一次産業(農・漁・林)のところで起こることになる。極端にいえばここでは貨幣が介在しないで生産の循環が可能だから、また極端にいえば「着のみ着のまま」「ただ生きているだけ」の衣食住の条件でも生産は循環することができ、それをやってしまうからだ。そうだとすれば大衆的富裕の条件は第n次産業(n>=4)に移行し、しかも貨幣が、より普遍的な形での信用だけとして介在する場面が条件になるという、わたしたちの想念は裏づけられている。」
「(…)順応とは、前に述べたように、慣れ親しんできた生活水準への順応である。だがその順応は、生活水準が低ければ低いほど常により完全なのであって、それというのも、その場合には、貧困の均衡の支配が最もきつく、努力しても挫折するなら順応のほうがよいとする圧力が最も大きいからにほかならない。(…)(ガルブレイス『大衆貧困の本質』郡留重人監訳)」
「かくしてガルブレイスは、大衆的な規模で存在する貧困を解消するための方策を次の二つに帰着させている。第一は「順応」をうちくずすこと。いいかえれば「順応」に抵抗し、まさにそれを拒否して貧困の均衡から抜け出そうとする意欲のある人を拡大すること。第二にその脱出をやりやすくすること。とても平凡な結論のようにみえるが、大衆的な貧困の外部からできる最上のことは、せいぜいそこにしかないということを洞察したのは、とても見事だといえばいえる。」
「(…)現代の経済学のどんな教科書をもってきても、したり顔で経済学の講義をやっているどんな教師をつれてきても、経済人として人間がどうなれば、理想なのかという問いには答えようとしない。総需要と総供給の均衡と不均衡、利子、貯蓄、課税、景気循環などの項目について、退屈で微細な論議をきけるだけだ。つまりいったん主題自体がどうでもいいことだとなれば、とてもまともにはつきあえない。ただ学者達の知的な解き明かしの手つきと好奇心の所在を、いいかえればパズル解きの興奮を追体験できるだけだ。一方マルクス主義経済学マルクス以後なんの進歩もなく、はじめに経済的範疇を、たてまえ上の倫理に吻合させようと嘘をついて以来、嘘のつきっぱなしになっている。現在では世界史的にもはやたてまえと本音の自己分裂が極限までひきのばされて、現実の方から破綻をきたしている。それでもまだ形骸があるとすれば、理想の経済世界の像を描こうとするモチーフだけはあったし、経済的範疇もまた、社会や政治や制度といっしょに生成変化し、起源と終末をもつものだということだけは、手離すまいとしてきたからだ。」