引用の回想
未来の事実を知ることができないというのは、認識によって現象、記録、情報を過去や現在において知ることには限界があるということではなくて、まず最初に認識を事実として扱っているから、何か未知のものを知ることには意味があると考えているだけだということである。
— ギム (@tokikyoumoto) 2015, 7月 19
人類の浪費に別の解釈を与えること。例えば、
ある人間的水準を達成するという口実で一度限り決定的に採用された諸習慣を貨幣の文脈の二次創作が実行できるように形成すること。結局私が最も愛している「少女」はディオニュソスの巫女であるニーチェであり、永劫回帰という最高の結婚指輪を超人たる「妹」に与えたいだけなのだ。
— ギム (@tokikyoumoto) 2015, 7月 18
しかしこれだけではライトノベルにおける少女の産業的規範に勝つことはできない。
高い教育水準を維持するためには長期的な投資リスクから絶対的な教条主義を強制する。そこでゲームによる早期教育によって本能的なレベルで快楽を定義することが必要になる。ここで重要なのは家庭の教育リスクを娯楽に転換し子育てを学問的な指示に従わせることにある。時間管理の介入を習慣にすること
— ギム (@tokikyoumoto) 2015, 7月 12
貨幣のディスクールを分析するためには常に物語が少女達にどのような口実で使用されているかを見ればよい。ただし妹との家族的類似を混同しないこと。
なんらかの形式で貨幣を所有する限り欲望の対象は少女になる。女を買うと娼婦になるし、姉妹では近親相姦に、人形(ロボット)では身体しか買えない。フェティシズムと倒錯は欲望の対象ではない。女性が欲望を持つには巫女か女王でなければならない。つまり神託(真理)か貨幣(権力)かである。
— ギム (@tokikyoumoto) 2015, 7月 6
巫女の神託は何らかの具体的な命令といったものではなく、ただ神々の意志を伝えるだけでそれに責任を負ったりはしない。犠牲は神々への強制である。ただ供犠がないと神々は機嫌を損ねるかもしれないが。