風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

『グラスリップ』の哲学的批評

豚に真珠を投げてやってはならないという大切な教訓を再確認させてくれる貴重なアニメ『グラスリップ』は、大衆に口を挟ませしょうもない欲望に奉仕するのでなければ評価を獲得できないという文化犯罪の現状に対する証拠物件である。大衆に理解されることが迎合、無知、浅薄さであることを自明の真実と見なす我々にとって、繊細なニュアンスと論理の奥ゆかしさが異論とされる中での不人気は、むしろ一種の幸運にほかならない。まったくダヴィデ像のように孤立している。突然のなにげない一言によって開かれた少女の世界。それはとてつもなく神秘的な魅力を煌めかせているけども、広大な暗い無重力の孤独を孕んでいる。彼を知ってしまったことからくる人間関係の不協和は、イメージとなって発散し少女の思いを加速させる。「もっとあの世界を見てみたい!でも一人ではちょっと不安かも」繰り返される唐突な孤独に翻弄されながら、ささやかな嫉妬とうぶな恋心の二重奏は心模様の花火になって宇宙に舞い上がり、各人に様々な余韻を残しつつ彼は去っていく。けれど少女の中に開かれた世界は思い出と一緒に輝いている。だからまた会えるという確信を胸に抱いて、あの頃とは同じようでまったく違う日常に戻っていく。儚くも美しい未来の希望とともに。溢れんばかりの陽光、自然と調和する音楽、乱反射する青春の断片を、豚の足で踏み潰されなかったことには運命に対する無限の感謝を隠しきれない。ここには我々の真剣さのすべてがかかっているのだ。