風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

『爆発の引用』2

「前世紀の半ばから、感情生活を守るという名目で、産業文明のもたらす荒廃に対して激しい非難が向けられてきた。産業の諸々の生産手段が情動に対して有害な作用を持つとみなすこと。それは精神を堕落させる産業の力を告発するという口実で、じつは産業に精神面での大きな力を認めることである。その力はどこから産業にやってくるのか。」(ピエール・クロソウスキー『生きた貨幣』)
「人間が肉体上の必要から遠ざかれば遠ざかるほど、彼は自分が何を購入するかについての説得―――あるいは管理―――をますます受けつけやすくなるだろう。これはおそらくは、ますます豊かになりつつある社会を対象とする経済学にとって、最も重要な帰結である。」(ジョン・ケネス・ガルブレイス『新しい産業国家』)
「私はその工程には、厳密さや君主制や異端審問が全く欠けていると思っていた。それはたんに放縦で官僚的で軟弱なものとしか私の眼には映らなかった。」(サルヴァドール・ダリ『天才の日記』)
「民主制が押し入ってきて以来、ポリス内部に横行していたのは、多少とも重きをなす可能性のあるすべての個人、または一時的にせよ官吏、将軍等々として重きをなすにちがいないすべての個人に対する絶えざる迫害であり、さらに、どれほど誠実かつ専心的に奉仕しても、才能ある者に対して示される仮借なさであり、少しでも財産のある者に対する定期的な追求であり、最後に、迫害者のあいだで次のような意識が完全に作り上げられたことである。すなわち、人々はこのような扱いをされたので、一角の人物であるほどの者は誰でも、どうしても内心において憤激し、それゆえ機会があれば反逆者とならざるをえないようになったという意識がそれである。」(ヤーコブ・ブルクハルト『ギリシア文化史 第九章第六節』)
「数多の現代「民主主義」なるものがこの惑星に圧し付けようとしているものは、動物の人間主義であると言えよう。そこでは、人間は憐憫の対象としてのみ存在する。人間とは哀れむべき取るに足らない動物なのだ。」(アラン・バディウ『世紀』)