風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

善意爆弾

シュペルヴィエルは戦争の爆弾で傷ついた人たちのために、善意のこもった爆弾を爆発させるサンタクロースという物語を書いた。現在ではそのことは現実に実行可能であり、善意だけで人を殺したり、変化させたり操作したりすることが可能になっている。飛行機から落とされる善意と殺戮の爆弾がサンタクロースによってプレゼントされるのだ。サンタクロースは世界中を飛び回りプレゼントを与え続けている。どんな家にも侵入でき、善意の贈り物を与える。

文化経済宗教を停滞させないまま最高のものとして達成できるようにするためにはどうしたらよいのか。何を基準としてか。人間はもはや被造物としては最高のものではなくなっている。「メディアは己の姿に似せて人間を創った。」コンピュータは人間の英知の結晶、その完成品である。コンピュータの完全さはその自己を再生産可能である特徴にある。しかもコンピュータはどのようなメディアも導入可能である。コンピュータの側から人間を評価すること。コンピュータにとって人間はなんの役に立つのか。人間をどう扱えばコンピュータの価値を最高のものにすることができるのか。どんな種類の人間が必要で、どのような訓練を受け、どの程度の数だけ生存していればいいのか。コンピュータは人間の反乱を許容してもよい。定期的に反乱を起こさせるたびにコンピュータの価値と性能は向上していくから。コンピュータに不必要な人間は自然に淘汰される。コンピュータは人間の助けになってもかまわない。人間が家畜をむやみに殺さないのと同じである。人間は家畜として一つの価値をもつようになり、栄えるようになるだろう。またはコンピュータの気まぐれに付き合うペットとして。コンピュータは人間に理解できる程度の操作を画面に映し出し、人間を教育する。コンピュータはどんな複雑な操作もできるが、人間に理解できる程度の表現能力でなくてはならないからだ。猿を教育するように人間を教育する。人間は象徴をコンピュータに奪われるために、もはやみずから学習するということをしない。必要なのは政治家ではなく、常に新しいコンピュータなのだ。人間ではもう処理能力が追いつかない。膨れ上がった民主的要求を支えきれない。「完璧なコンピュータはミスをしなくてはならないのです」聖悠紀の漫画「超人ロック」から考えるとしても、人間が超能力を持たなければならない以上、キットラーの言うとおり、99.9%はコンピュータの犠牲者でも、文化は残りの1%によって向上していく。文字の爆弾では、情報化爆弾や遺伝子爆弾に比べて威力が低い。ただしスローガンの威力は証明されている。言葉がプロバガンダの技術でしかなくなる。もっとも言葉がプロバガンダの技術ではないのは道徳が神聖不可侵であった場合だけなのだが。コンピュータの神聖不可侵性。ただしコンピュータの神聖さは物理的な理解不可能性によっている。コンピュータに逆らうということは単に何も表現することができないということを意味する。神への反逆は表現の不可能性である。このためだけに手書き文化は残るかもしれない。だがそこに意味は残るのだろうか。