風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

壊変性楽器による声の召喚6

・大衆社会における民主主義の本質は腐敗を嘆かせることにある。なぜならテレビや新聞などのくだらない情報によって自分の好きなことを心置きなく楽しめるようにして社会のことは官僚に任せるというのが労働大衆の一致した願いだからである。この事はネットであろうが書籍であろうが全く変わらない。
・監視社会の国民一人一人の安全と財産を守るという主張はテロリズムの無実の人間が犠牲にならなければ我々の主張は聞き入れられないという爆発の実践と厳密に対応関係にある。だから特定のカップリングを私の正義にしたり擬人化した少女を俺の嫁にすることはリア充が爆発しないための政治的意味を持つ。
・拷問は情報を引き出すための最上の手段であるわけではないが情報を引き出すということは人を痛め付けるための最上の口実でありうる。しかし隣人愛は相手の意識が罪悪感として創造されるまで執拗な拷問を繰り返す。
・初期の仏教徒達はこれとは逆の方法をとった。つまりありとあらゆる過酷な修行で身体をむち打ち、苦痛に対応した現実というものは一切ないことを理解しようとしたのである。その成果が因果応報の学説を方便として利用するということであって、キリスト教のように真理にする必要はなかったのである。
・科学は人間の苦痛をコントロールし、そこから自在に快楽を大量生産するということを編み出した。人間の身体を切り刻み臓器を移植しありとあらゆる病原菌を利用し尽くすということは仏教には決して出来なかった。しかもそれらが残虐な人間の手ではなく理性的に冷静な人間の手で行われるのだ。
・生まれたことに罪を認めて苦悩の世界からの救済を求めるのか生まれたことを理解できない無知がゆえに生殖行為をするのか。人間が肉体を女の身体を使って生み出すことが神秘であるというよりも肉体として定義されるものを名付けることの方が狂っている。家族がないと肉体が人間である保証にならないのだ
・貨幣を子供の未来のために使うことは子供を将来の労働力として教育させることの義務を含んでいる。しかしその教育がどのように行われるのかといえば大人のいうことは正しいということを教えることにしかならない。たとえ大人が完全に正しいわけでも素晴らしいわけでもないのだと教えるとしてもである。
・教育者が妖怪やアニメのキャラクターであったほうが自由な選択ができるという意味で子供を市販のゲームで遊ばせた方がよく、さらにいうなら動画サイトやネット上の情報源に対して学校の教育がおもしろくないというのは明らかである。だがこの事とある程度の安全はどのように両立するのか。
・アニメやゲームは子供向けでなくてはならないという制約が残っているというべきなのか。学校の価値はどこにあるのか。子供の声を黙らせることにあるのではないか。プラトンの言うように若者が体制批判をするべきではないというのは知恵として存在する。だが体制批判自体が体制になっている場合は別だ。
・大人と子供の区別だては何によってなされているのか。明らかに大人に反抗したり憧れたりするところにある。つまり大人であることは大人であると自覚することであることを知っているかどうかにある。夢を見させて将来への期待を煽らせることが必要なのだ。そうでなかったらどうして労働力になるのか。
・過去を勉強することで新しい未来を創造することは未来の映像を見せて過去の記憶を探求することと補完関係にある。しかし近代の生活は現在が死に向かって永遠に回帰してくるというものである。だから日常から排除されたものは病気として症候の歴史をゲームとしてシミュレートする。人類絶滅の探求。
・そもそもなぜ子供を育てなくてはならないのか。実際子供を扱いやすい労働力や戦力として利用するというのは近代の一貫した主張ではなかっただろうか。子供が人類的な意味で守らなければならない対象になったのは人権が介入する便利な口実であるからである。
フロイトの主張に応じて子供に性欲があると主張することは倒錯やフェティシズムを商品化する論理と真っ向から対立する。もし子供の人身売買が少女化のデータベースより効率がよかったらそちらが採用されていたはずだ。ここで重要なのはロリコンは性癖の主張ではなくて父の名の不在であるということだ。
・問題の核心は子供をロリコンと言われずに恋愛対象にするには教師でしか不可能だということにある。しかしこれは教師が学校を辞めるか生徒が卒業するかしなくてては成立せずかつそうなってしまえば恋愛を維持するための問題が解決するから恋愛対象にはならなくなる。だから学校は子供の声を封じる。
・子供が子供のままで自立するための唯一の手段は売春をすることだということを知らなくては天才になるための死に物狂いの努力も破壊的な犯罪を犯したいという欲望も何一つとして理解できなくなる。少年法の問題はいたちごっこになる。だから萌えに逃げてしまうことは妥当なことだというしかない。
・カップリングを私の正義にすることで子供であることを腐らせることや女装することでのみ男性であることをアピールするしかない状況では妄想を爆発させないために二重人格になるか主人になっていじめをする必要がある。スマートフォンは子供が自立するために社会の構図を演じるという意味で利用される。