風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

戦術爆撃の記述

たまには怒り狂って英気を養いたいと思う。部外者がしゃしゃりでるのを許してもらいたい。精神障害者や痴呆患者の人権を守れと言う時、彼らは一体何を主張しているのだろうか?収容所に連れていって監視されることを望んでいるのだ。そして可能なら社会復帰という口実で患者を下層労働に従事させようとしているのである。まずこういう人たちを介護する人の権利はどうなっているのか?もし手が足らないような事態になれば最終的に患者を排除せざるをえないのではないのか?つまり我々は病院に不祥事が起こることを望んでいるのである。事故ならしょうがないというわけだ!全ての病人がより良い社会復帰ができるというのは幻想にすぎない。だから下らない人道的物語が語られるのだ。住宅看護は単に事故が起こる代わりに看取ってもらうという口実で家族を看護人にしているにすぎない。客観的に考えて、生産する労働者よりも看護される病人のほうが数が大きくなる社会に希望が見えないのは明白である。もちろん資本制が労働者と病人というカテゴリーに人間を区別しているのは、それ自体としては間違っているが、それだからこそ看護に価値が付くようになったという事実のほうが問題である。看護は従属的な地位にあるのでなければ生は単に相互扶助のためにのみあることになってしまう。これに病人を殺せばいいなどという簡単な解決策があるわけがないのだ。価値観そのものを変えなくてはならない。まず死を考えさせること、安楽死を認めることはそれが犯罪に利用されるかもしれないとしても絶対に必要であり、さらに自殺を人生において正当なものと認めることが必要である。生に耐える訓練をすべきなのであって不条理を嘆くことが問題なのではない。忍耐ではなく解決策を考えさせろ。病院に中傷がでるのはやむを得ない。病院は負傷兵の治療機関であるべきなのであって、病気を「治す」施設であってはならない。ここでこそ理性が必要であり、ここでこそ思いやりが必要である!人権を越えて人を助けようと思う人間以外は医者になるべきではない。賢者はみな教師に身を落としたのであって、彼らが金品をもらわないようにしていたのはそのためなのだ。ブラック・ジャックはこの点で完全に正しかった。身を落とさないために大金以外は要求しないことにしたのだ。これは極端な例だとしても、医は仁術ではなく、貧者には脅迫を、富者には搾取を与えるべきなのだ。そして生に耐えて生きる勇気を与えるべきなのだ。これこそ理想主義というものであろう。