風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

リヴァイアサン復活の呪文

「ニイチェは、ワグネルを理解するという言葉を誰にも許さなかった。ただ一人ボオドレエルを除いて。彼の考えによれば「悪の華」という詩を書いたこの「半気違ひ」だけが「デカンダンスの心理学に通暁していたからである。当代の哲学が「純粋学問」となって死ぬのは、デカダンスに関する哲学的智慧を持たぬからだ。患いも悪も知らぬからだ。」(小林秀雄『ニイチェ雑感』)

私のブログを振り返ると、まさに哲学者の病気が明々白々に表現されているという点で何らかの価値を持つかもしれません。幼稚な虚栄心と過剰な論理、執拗なまでの憎悪と現実否定。そろってないものはなにもないくらいです。上の引用も私の虚栄心の現れです。だからと言って、私が末人どもを持ち上げたりするなどありえません。彼らについていえることは、こういう奴等はどんな時代にもいたし、どんな時代も彼らを軽蔑したということだけです。ここでは私がいつも戦っていたもの、つまりジジェクに対して感謝をまたまた言いたいと思います。私が革命的イデオローグという概念を理解したのは、ひとえにジジェクのおかげであると言っても良いでしょう。バディウはそうするにはあまりに高貴であり、正直であります。ジジェクは第一級の誠実な革命的イデオローグであり、他の教養俗物たちを片付けるという点で大きな功績を挙げました。現在ドイツ哲学の精神を保持することが可能になっているのはジジェクのおかげであると言っても過言ではありません。だからといってジジェクによって与えられた誘惑が大きな害をもたらさなかったとは言えません。ジジェクはあまりにもたくみに詭弁を使うため、誠実な詭弁家という言葉がふさわしいほどであり、最終的にはジジェク自身でジジェクを批判することすら可能でしょう。だまされてはなりません。ジジェクは学者宗教の最強の護教論であるヘーゲルの使い手であり、その第一人者です。ジジェクラカンヘーゲルで片付けることができないのは周知の事実であり、それこそが弱点であると誰でも分かっています。そもそもジジェクは「快楽の転移」の時点で、自分のマルクス主義的な方法論を放棄できるはずでした。それにもかかわらずその後は他の学者に対する攻撃と、マルクス主義的な革命讃歌しかしていません。もちろん興味深い現実洞察があります。政治的見地からのジジェク一流の分析です。私もほとんどこの政治分析を借り受けています。にもかかわらずジジェクの代案は信じられないぐらい陳腐で貧弱です。あれほどの趣味があるのにどうしてそんなことがいえるのか信じられないぐらいです。誰でもこの点でジジェクヘーゲル病を批判したくなります。せっかくジジェクバートルビーによって政治を限界まで考えたのに、政治の価値にしがみついたままなのです。