風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

人肉を食べるキリスト2

「有頂天家族」から「食べちゃいたいぐらい好きなんだもの」。かわいいと食べることの関係性。あるいは宮沢賢治の「フランドン農学校の豚」とシュペルヴィエルの「羊三頭つれた後家さん」。東方の二次創作は数限りなく妖怪に進んで食べられる人間を表現した。

人間の脳を食べたいと願うのは実際のところコンピュータの夢であって、もちろん科学的にはこれはナンセンスである。しかしこのような被害妄想が出てくるということ自体が、コンピュータがすでに人間の脳を食べていることを証明しているのだ。病的なのは人間の方である。

ところで画面のなかにいるキャラクターを食べるということは可能なのだろうか。もし可能なら、もちろんキャラクターが画面の外にいる人間を食べることも可能になるわけである。

もしも実際の人間のフィギュアというものが大量生産されたら、気味悪い光景が出来上がるのではないのか。人形の気味の悪さとはそれが精巧であればあるほど、人間を亡き者にしたりのり代わるという欲望を持っているかに視えるようになる事にある。西尾維新の「ニンギョウがニンギョウ」。

現代の世の中かがどれほど狂っているかを感じるためには、至るところに人間とは思えない声と容姿を伴ったわけのわからない偶像があるということを理解すればいい。我々がいかに五感による現実ではなく象徴秩序によって物事を判断しているかがわかる。それが完全に区別がついているということが本当の恐怖なのだ。ポケモンのイラストですら、もはや完全にこの世界はどうかしてしまったのかと疑わざるを得ない。日常自体がディズニーランドのようなものになっているということなのだろうか。神々が多すぎる!

アニメの世界を現実の実写映画として、つまり恋愛ものとかではなく純然たるファンタジーなどを実写で取ってみたら、なにか気味の悪いものが出来上がるのではないだろうか。絶対に実写があわなそうなものを、実写にしてみること。逆にうまくいくようなものはどんなものなのか。もちろんそれがうまくいくかいかないかということは、その作品に帰せられた媒体表現の質の低さを必ずしも意味するものではない。ではアニメと実写を一つの作品の中に表現するというものはどうだろう。その差異自体を表現する、というのは。『Panty & Stocking with Garterbelt』の生足。