風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

人類は衰退しました5

「(…)1936年以降、潜在的にはドイツ最大の権力を握るようになったヒムラーは「武装したボミヘアン」の仲間ではなく、厳密にはモッブにも属してもいなかったからである。この絶滅工場の組織者たちはナツィ運動の初期の指導者達の誰よりも「正常」であり、俗物であった。彼はゲッペルスのような堕落した知識人でも、ローゼンベルグのような香具師でも、シュトライヒャーのような性犯罪者でも、ヒットラーのようなヒステリー的犯罪者でも、ゲーリングのような冒険家でもなかった。大衆をあれほど完全に全体的被支配の状態に組み込み、それから行政的大量殺戮の機械の歯車であれ、その犠牲者であれ、まったく同じように意のままにし、しかも目的にふさわしく選び出せるような組織を作り上げるという並外れた能力を彼が示しえたのは、大抵の人間はボミヘアンでも狂信者でも、冒険家でも倒錯者でも単なる馬鹿でもなく、まず何よりも自らの安全と家族の幸福のために心を砕く人間であることを彼が見抜いていたからにほかならない。私生活のうちに引きこもり、身の安全と出世のことしか念頭になくなった俗物というのは、公的、国家的生活の要求よりも社会的、経済的利害のほうに絶対的優位を与えたブルジョワジーとその信念の最後の産物、すでに堕落し退化した産物だった。俗物とはすなわち孤立したブルジョワ、自らの階級から見捨てられたブルジョワなのである。アトム化した個人としてのこのような俗物は階級としてのブルジョワジーの解体によってはじめて大量に出現した。ヒムラーの非凡な組織力が歴史上最大の犯罪の執行者や従順な共犯者に苦もなく作り変えた大衆的人間は、モッブの特徴ではなくこの俗物の特徴をはっきり持っていた。彼らには犯罪的なものであれ正常なものであれ、いかなる情熱も見られなかった。彼らにあるものといえば、身の安全を些かでも脅かされたとなると名誉であれ品位であれ信念であれ一切を投げ捨てて当然とする心性だけだった。自らの私生活の無事安泰のみを考える私的道徳ほど破壊の容易だったものはなく、この私生活ほど容易に均制化され公然と画一化されたものはなかった。」(ハンナ・アーレント全体主義の起源3』)
「次に述べる逸話は、こういった問題に関連している。そして私の知るかぎり、これまで書かれたヨハネ教皇の伝記とは、どれもローマとの紛争にはふれていないため、こうした逸話の信憑性を疑ってみても十分な説得力を持たないであろう。まず1944年にパリ出発に先立って、彼が教皇ピウス12世と謁見したときの逸話がある。ピウス12世は謁見を始めるとすぐ、この新任の使節に七分間しかさけないことを告げた。それに対して、ロンカーリは辞去して言った。「それでしたら、残りの六分間は不必要です」。第二の逸話は、外国から帰った若い司祭が、自分の経歴をよくするために高官によい印象を与えようと、ヴァチカンで忙しく立ちまわっているのをたしなめた愉快な話である。教皇はこの司祭に次のように述べたという。「若い方、そう気を使うのはおよしなさい。イエスが審判の日、あなたを検邪聖省の仕事をどう務めたかなどとたずねたりはなさらないと確信して、安心してよいのですよ」。最後の逸話は、死の数ヶ月前にホーホフートの戯曲『神の代理人』を読むように求められ、それに対してどんな手を打てるかをたずねられたときのことである。彼はその問いに次のように答えたといわれる。「どんな手を打つかといわれるのですか。あなたは真実に対してどんな手が打てるのですか」。」(ハンナ・アーレント『暗い時代の人々』)