風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

人類は衰退しました4

(…)われわれの銘記しなければならないことは、アレクサンドレイア的文化が、長期にわたって存立し得るためには奴隷階級を必要とするということである。しかるにこの文化は、その楽観的な生存観において、かかる階級の必然性を否定し、そのため、「人間の尊厳」とか「労働の尊厳」とかいう美しい殺し文句や気休めの言葉が使い古されたあかつきには、漸次恐るべき破滅に向かって進むに至るのである。己が存在を不当と見做すことを覚え、そのためのみならず、万人の人々のためにもまた復讐すべしと機を窺う野蛮な奴隷階級ほど恐るべきものはない。かくも風雲急を告げる時に至って、泰然自若、われわれの疲労困憊した蒼白い宗教に救いを求めようと、何人が敢えてするだろうか?我々の宗教自身、その基礎において学者宗教に堕し去っているのである。その結果、あらゆる宗教の必然的前提たる神話は、すでに至るところで萎靡沈滞し、この領域においてすら、われわれがたった今、我々の社会の獅子身中の虫と呼んだかの楽観主義的な精神が支配権を握るに至ったのである。」(ニーチェ『悲劇の誕生』)
「(…)オペラは、かの牧歌的、あるいは英雄的に善良な人間の国土の再発見されたものであると見做された。(…)この新たな芸術領域の本来の魅力と並びにその発生に依って来るところは、全く非審美的な欲求の満足、人間そのものの楽観主義的な讃歌、原始的人間をもって生来善良で、かつ芸術的な人間とする見解にある、ということをわれわれは認識すれば足りるのである。オペラのかかる原理が近時漸く一つの緊迫せる要求に転じて来たったのであって、われわれはかかる要求を、現下の社会運動に直面するとき、もはや聞き逃すことは不可能である。「善良で原始的な人間」がその権利を要求するのである。何という楽園的な期待であろうか!」(同上)
「何に対する信仰をもって、何に対する愛をもって、何に対する希望をもって?」(ニーチェ『道徳の系譜』)画一化、それはお人好しの理想の勝利であり、達成であった。それが現実で何を意味するかは言わないでおこう。それはあまりにも現実的だからだ。「だが現実にひとがお人好しであることはない!」私が言いたいのはそんなことではないのだ。この正真正銘のお人好しが怒っているのはそんなことではないのだ。誰もがお人好しであるべきであり、そんなように人々が振舞おうとすること、これほどの醜悪さがあるだろうか?誰もがお人好しになろうと努力する。しかしそんなものにはなれない。こんな茶番劇が本気で行なわれているというのが問題なのだ。彼らが自分たちのことをどれほどお人好しであるかを自ら証明しに出歩いている!お人好しに証明などあるのか?利口なら利口に振舞っていればいいのに。なぜお人好しの振りをするのだ?国が堂々と嘘を吐いている中でこんなことを言うのも虚しいだけだが、エリートですら自分達がお人好しではないことを証明したがっているように見える。そして自分達が何の欠点もなくただ抗議したり大言壮語すればそれで問題は解決したかのように振舞っている。お人好しは正義だというのか?だが偽悪者だって同じくらいお人好しではないのか?人種差別主義者は、ただの露悪趣味のお人好しではないのか?彼らは現代の社会がお人好しにどれだけ有利なようにできているか気づいていないのに不満ばかり述べている。彼らはあまりに有利な位置にいすぎるのだ。次の引用はお人好しと真正のお人好しとの簡単な紹介文である。