風鈴神社

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アニメ『コードギアス』と天皇制2

 日本の国民運動を語る上で欠かすことができないのが天皇制である。いったいなぜ天皇制が問題になるのか。日本を植民地だとみなしたアニメ「コードギアス」はこのことに対して一つの説明を提示してくれる。「コードギアス」において私がここで注目するのはニッポン人の解放闘争がブリタニア人指導者(しかも皇太子)の下で行われなければならないという根本的なねじれである。このことはニッポン人の中で最も「誠実な」裏切り者である枢木スザクのことを考えてみれば一目瞭然である。本来なら彼こそが解放を指揮する立場に立つべきではなかったか?しかしそれは劇中でも最後まで果たされない。枢木スザクが解放闘争の象徴となることの不可能性こそがゼロの仮面を生み出し最後にルルーシュをゼロの象徴において殺さなければならない理由なのである。本質的なのはニッポン人自らが植民地化することを受け入れたということ、これである。ニッポン人は決して解放闘争を自分の象徴において実行することはできない。もっというなら天皇の象徴において解放闘争を行うことができない。だが(近代的な)日本人を定義付けているのは天皇であるということ、まさにこのねじれこそ全ての国民的な解放闘争が失敗する原因に他ならない。天皇がアメリカ人であるような事態が発生したら問題は明瞭だったろう。日本の議会制民主主義柄谷行人のいうように天皇が前提とされなければ機能することがない。安部首相の「日本を取り戻す」は正しいことを言っているのであり、彼は「日本の」議会制民主主義を取り戻そうとしているのだ。しかしそのためにはアメリカの協力が必要なのである。アメリカが民主主義を破り始めたらもうおしまいであり、日本はひたすらそれにしたがうしかない。なぜならアメリカの意思は天皇の意思だからである。このようにして脱原発運動は自らの敵と出会う。なぜポピュリズム的な国民運動が脱原発運動のリピドーなのか?天皇が外国人によって「奪われ」議会がのっとられているからである。彼らが人種差別的になる理由は(さらにいえば彼らが決してアメリカ人を差別しない理由もまた)明白であろう。脱原発運動は日米関係の無力さの表現である。