風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

永井均『なぜ悪いことをしてはならないか』2

(…)だがしかし、その答えもまやかしである可能性はないのか。最後にこの哲学ゲームそのものの欺瞞性を疑っておこう。私自身が献身しているこのゲームの精神に忠実であるためにである。取り決めをした最初の一人が哲学的な議論をし始める可能性を考えよう。最初の取り決めはばれて罰せられることも覚悟の上なら破ってもいいのだろうか。それとも、それはなにかきわめて究極的な意味で「いけない」ことなのか。するとここで哲学することの誠実さに関する道徳が生まれるだろう。このゲームでの勝敗は真偽によって決まり、その道徳は真理への誠実さである。だが、このゲームもまたさまざまな仕方で利用されることになるだろう。このゲームをやっている振りをして、実はこのゲームの規則には従っていないことができるからだ。道徳でしか勝てない人々もこのゲームに目をつけ、このゲームを味方につけたいと願うだろう。道徳派のこの不道徳性は、このゲームにひたすら忠実であろうとするこのゲームにおける道徳派から、道徳的に非難されるだろう。なぜこのゲームの道徳だけをそんなに特権化するのかという反論がなされるであろう。このゲームでしか勝てない人は、今度はこのゲームを祭り上げるだろう。実際このゲームの中で―――この本は基本的にこのゲームの中にある―――このゲームの価値を疑うのは難しい。その疑いの表明そのものがゲームの中の一部になってしまうからだ。(こう書いている私自身がそうであるように)。このゲームでしか勝てないがゆえにそれを特権的に祭り上げるものではないかと疑うとき、私はこのゲームで着実にポイントを稼ぐことにならざるをえないのである。