風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

壊変性楽器による声の召喚8

マルクスの問題提起は労働者が搾取されていることにあるのではなくて商品生産における労働の論理が普遍的になっているからこそ革命によって技術の束縛から解放されなくてはならないということにある。自己疎外が成立するのは一般化された大量生産における分業が自然でなく非人間的であるからである。
・しかし自己疎外に対応した要求が非人間的であるからといってそれを革命に結びつける必然性などない。民主主義による不満の発散とあらゆるメディア工学による大量破壊のファンタスムの大量生産が大衆文化の前提条件であり、これがあらゆる権威を破壊してきたのは周知の通りである。
・ところでこの事を直接現実と短絡させようとする試みこそ二十世紀がやろうとしてきたことではなかったのか。世界大戦から民族浄化大量破壊兵器や生態系を変化させるためのあらゆる実験と事故。そして文化や文明による人間の変化。エコロジーは単に新しい口実を提供しているだけに過ぎない。
・こういったことが一通り実行されたのを見てみると、本来すべての議論は貨幣による人間の生産性というものにかかっていると言いたくなる。つまり人間は豊かになることを求めているというわけだ。しかし貨幣があらゆる意味で飽和した瞬間にこそ貨幣だけではいかなる欲望も維持されないことが分かった。
・すべての人間が労働力を所有しているということはすべての人間が生殖を行うことができるということでもある。これはキリスト教の無原罪の受胎という概念から派生したものなのだが、まさにそうであるからこそ生殖を性欲にすることで倒錯の道具を生産することができる。
・すべての人間が労働力を所有するということからはすべての人間を満足させるためにすべての人間が労働する必要があるということにはならない。しかしすべての人間を満足させることができるという不可能性を担保にすることで機械による生産を過剰にすることができる。
・ここから二つの問題が導きだされる。それは家族と子供である。家族はそれが子供を養育するという目的で結婚するということと個人の満足の昇華である恋愛に分裂し、子供はそれが将来の労働力として教育される対象であるとともに新しい価値観を創りだす主体でもある。だから近親相姦がゲームになるのだ。
・重要なのはどの近親相姦を神との関係で反復するのかである。生きた貨幣は唯一神との一体化という価値を持っていたがそれもコンピュータが発明されるまでの話だ。性と人格の分離をこれほど促進させたものはない。だがこれに電話の声がつかなかったらカードとしての機能は持たなかっただろう。
・一旦整理してみる。出発点はコンピュータによるネットワークによって人間が自身の人格を記号として扱い貨幣信仰が電波のキャラクターになることで日常生活に忘却の楽園であれ正義の物語であれゲームを自己疎外がカードとして召喚されるまで繰り返すことである。ネット空間など存在しないことの確認。
・人間はつながりを求めている限り人類の共有という幻想から逃れることはできない。ネットに人類の思い出を追憶として封じ込めておくという観点を理解するためには私の存在論証明を放棄していなければならない。スマートフォンが空洞なのは人間のディスクールを安全に保管しておくためでしかない。
・人間がコンピュータに夢中になることで効率性の名のもとに無駄な知識を増加させ日常生活における忘却をもたらすであろうということから労働の分業を飽和させ組織化を徒労に終わらせる。残るは近親結婚の不可能性を効率的な攻略法で神々とコミュニケーションをとるためにゆっくり実況をすればいい。
・しかしこの事がどのように経験されるのかまだよくわからない。大衆を楽しませるような正義のストーリーで負けを演出すればいいのだが、もちろんそれには神々が社会関係の実体として認識されるのでなくてはならない。カードゲームで美少女や美少年と出会うだけでいいのだろうか。
・コンピュータに取り込むことでキャラクターを欲望の対象として効率的に消費するための道具としてのカードと事故をシミュレートすることで追憶に閉じ込められた人類を脅かすような恐怖のイメージを具現化する手段としてのカードがあるように思われる。前者が貨幣で購入されるとTCGと呼ばれるわけだ。

壊変性楽器による声の召喚7

・人間は何度失敗しても諦めない限り成長することができる。ぶっ壊れた玩具は成功することも失敗することもできないし認められるために努力したり諦めたりするということが理解できない。ただひたすら自分が生まれていないということを考え続けるために狂い続ける。被害妄想と敵の撲滅は対症療法である。
・人間の身体と精神をバラバラにすることをゲームとして練習することで人間をどのように殺戮すればいいのかを攻略法として定式化すること。メディアミックス商品とプラモデル。切り刻んだ死体はどこに保管すべきなのか。カードとして召喚するためにイラストとして封印しなければならない。エクゾディア。
・自然の豊穣さとメディアという幽霊はありとあらゆる殺戮に無限の生成を持って対抗したためあらゆる民族の絶滅にも関わらず人類は永遠の生命を保持していた。こういったものが危機に瀕したのは核兵器のお陰でありしかも地震津波による原発メルトダウンによって遺伝子から人間の本能が切り刻まれた。
原発事故でたぶん神々は次のことを悟ったのだ。つまり人間の支配を終わらせるには人間を殺し合わせるのではなくて人間という概念を腐蝕させたり壊変したりするような立法や事故を人間にゲームとしてシミュレートさせればよいということを。壊れた玩具を神々の器にするのは人間の義務ではないだろうか?
・戦争が発明の母であり父なる神が愛を説くために敵を殺していくことが進歩や発展であるという普遍的歴史というものは人類という救世主の大量生産を相互理解の名のもとでテロリストを排除してきたのだが、過去の野蛮さをコンピュータで追憶にすること自分は猿でないと教育しているのだ。
・人間の死を数えることは人生の対価を表現するということである。労働が賃金と何の対応関係もないと認めることは商品生産を否定するということになるだろう。ところで市場がとっくに終わっているのは事実だとしても人々を効率的に命令を聞かせるための口実として貨幣の評価はまだ意味を持っている。
・貨幣の欠陥は買いたいものしか買うことができないということにある。だからプレゼントが宣伝として成功するのである。プレゼントは交換可能でありかつ貨幣であってはならないという制約がある。しかし貨幣以外のプレゼントは常に押し付けになる可能性がある。だから親しい人以外には消費財を渡すのだ。
・人間同士の交換ではお互いの理解を越えるようなプレゼントを渡すことはできない。もちろん命令なら話は別なのだがこれはカリスマがないと主従関係になる。商品の販売は貨幣が媒介になっているからこそ労働力を代用した象徴として人間同士の平等性が担保される。職業が特権になるのはこのためだ。
・しかし誰にでも配布されるものが二つある。広告とカードである。広告はそれが購入の期待を与えるという意味で無の価値を持つ。カードは人間とお客様の区別を可視化するという機能を持っている。ただしここがカードの特徴なのだが一般人から隔離されるのであれば区別されるのはお客様である必要はない。
・カードがトレーディングカードゲームになるのは構築済みスターターとブースターパックという一般化した商品を販売しなくてはならないという制約ゆえである。しかしたとえそうだとしてもTCGは商品とは独立した形でカードを使用できるようになっている。つまりカードに出会えるようになるのだ。
・テレホンカードや図書カードがプレゼントとしての価値を持つとしてもこれらは出逢いとしての意味を持っているわけではない。電気の普及によってカードが電波変換されると電話番号というコードを元にして無数の神々の回帰もイラストによる声もアプリによる複製によって担保できるようになる。
・だがこれでは一般化は避けられるが機械の意識として普遍化されるだけにすぎない。個性はあくまで一般化からの過剰なのだから普遍性においては個性は貨幣で購入されてしまう。だから人格の分裂から融合エネルギーを生産するのではなくメルトダウンによってキャラ崩壊を起こして運命を壊変させるのだ。
原発事故によって人間としての核を徹底的に崩壊させ人類への帰属の証となるものすべてを切り刻み放射能によって誕生も忘却も封じられた声に身体を与えることで追悼とか慰霊で距離を取るのではなく核兵器の電波変換で壊変したウイルスのカードを召喚して人間を萌えのデータベースから隔離させること。

壊変性楽器による声の召喚6

・大衆社会における民主主義の本質は腐敗を嘆かせることにある。なぜならテレビや新聞などのくだらない情報によって自分の好きなことを心置きなく楽しめるようにして社会のことは官僚に任せるというのが労働大衆の一致した願いだからである。この事はネットであろうが書籍であろうが全く変わらない。
・監視社会の国民一人一人の安全と財産を守るという主張はテロリズムの無実の人間が犠牲にならなければ我々の主張は聞き入れられないという爆発の実践と厳密に対応関係にある。だから特定のカップリングを私の正義にしたり擬人化した少女を俺の嫁にすることはリア充が爆発しないための政治的意味を持つ。
・拷問は情報を引き出すための最上の手段であるわけではないが情報を引き出すということは人を痛め付けるための最上の口実でありうる。しかし隣人愛は相手の意識が罪悪感として創造されるまで執拗な拷問を繰り返す。
・初期の仏教徒達はこれとは逆の方法をとった。つまりありとあらゆる過酷な修行で身体をむち打ち、苦痛に対応した現実というものは一切ないことを理解しようとしたのである。その成果が因果応報の学説を方便として利用するということであって、キリスト教のように真理にする必要はなかったのである。
・科学は人間の苦痛をコントロールし、そこから自在に快楽を大量生産するということを編み出した。人間の身体を切り刻み臓器を移植しありとあらゆる病原菌を利用し尽くすということは仏教には決して出来なかった。しかもそれらが残虐な人間の手ではなく理性的に冷静な人間の手で行われるのだ。
・生まれたことに罪を認めて苦悩の世界からの救済を求めるのか生まれたことを理解できない無知がゆえに生殖行為をするのか。人間が肉体を女の身体を使って生み出すことが神秘であるというよりも肉体として定義されるものを名付けることの方が狂っている。家族がないと肉体が人間である保証にならないのだ
・貨幣を子供の未来のために使うことは子供を将来の労働力として教育させることの義務を含んでいる。しかしその教育がどのように行われるのかといえば大人のいうことは正しいということを教えることにしかならない。たとえ大人が完全に正しいわけでも素晴らしいわけでもないのだと教えるとしてもである。
・教育者が妖怪やアニメのキャラクターであったほうが自由な選択ができるという意味で子供を市販のゲームで遊ばせた方がよく、さらにいうなら動画サイトやネット上の情報源に対して学校の教育がおもしろくないというのは明らかである。だがこの事とある程度の安全はどのように両立するのか。
・アニメやゲームは子供向けでなくてはならないという制約が残っているというべきなのか。学校の価値はどこにあるのか。子供の声を黙らせることにあるのではないか。プラトンの言うように若者が体制批判をするべきではないというのは知恵として存在する。だが体制批判自体が体制になっている場合は別だ。
・大人と子供の区別だては何によってなされているのか。明らかに大人に反抗したり憧れたりするところにある。つまり大人であることは大人であると自覚することであることを知っているかどうかにある。夢を見させて将来への期待を煽らせることが必要なのだ。そうでなかったらどうして労働力になるのか。
・過去を勉強することで新しい未来を創造することは未来の映像を見せて過去の記憶を探求することと補完関係にある。しかし近代の生活は現在が死に向かって永遠に回帰してくるというものである。だから日常から排除されたものは病気として症候の歴史をゲームとしてシミュレートする。人類絶滅の探求。
・そもそもなぜ子供を育てなくてはならないのか。実際子供を扱いやすい労働力や戦力として利用するというのは近代の一貫した主張ではなかっただろうか。子供が人類的な意味で守らなければならない対象になったのは人権が介入する便利な口実であるからである。
フロイトの主張に応じて子供に性欲があると主張することは倒錯やフェティシズムを商品化する論理と真っ向から対立する。もし子供の人身売買が少女化のデータベースより効率がよかったらそちらが採用されていたはずだ。ここで重要なのはロリコンは性癖の主張ではなくて父の名の不在であるということだ。
・問題の核心は子供をロリコンと言われずに恋愛対象にするには教師でしか不可能だということにある。しかしこれは教師が学校を辞めるか生徒が卒業するかしなくてては成立せずかつそうなってしまえば恋愛を維持するための問題が解決するから恋愛対象にはならなくなる。だから学校は子供の声を封じる。
・子供が子供のままで自立するための唯一の手段は売春をすることだということを知らなくては天才になるための死に物狂いの努力も破壊的な犯罪を犯したいという欲望も何一つとして理解できなくなる。少年法の問題はいたちごっこになる。だから萌えに逃げてしまうことは妥当なことだというしかない。
・カップリングを私の正義にすることで子供であることを腐らせることや女装することでのみ男性であることをアピールするしかない状況では妄想を爆発させないために二重人格になるか主人になっていじめをする必要がある。スマートフォンは子供が自立するために社会の構図を演じるという意味で利用される。

壊変性楽器による声の召喚5

・『脱線』電気を使用してイデアとなった文字を変換して光の波動による可視化を実行することは声の権威が決定的に失墜したということである。これはプレイヤーとキャラクターの区別は人気によってしかつかないということを意味する。そうであるからこそ召喚された怪物は恐怖の身体化を実践する。
・顔から声がするものは人間だとは限らないということから出発して貨幣に交換可能な声の機能を付与し、声が神々の所有物となったことから声をカードでイラストにして名前をデータベースとして使用することで子供を神々の生産物としてみなして社会人の価値を転倒する。これで何をいったことになるのか。
・西洋的普遍性は民族絶滅を人類の普遍性として救済することで隣人愛の世界を資本によってグローバルにした。これはオイディプスの系譜であり、すべては父母と子の関係性に基づいて人類は皆兄弟になっている。だからこそアンティゴネーの系譜は悲劇になってしまう。
・神々と核兵器の結婚が原発事故によって成就したカードゲームではキャラクターとプレイヤーは兄妹として重ね合わされる。成長と選別の回帰ではなく誕生と滅亡の反復が楽器の声によって調律される。したがって起源的な歴史調査ではなく民俗学的な構造分析が伝言ゲームによって呪文の響きを持つ。
・異世界ファンタジーは原初の母の豊穣さと父娘の近親相姦によって子孫による支配者への復讐を繰り返す。魔王の復活は神々の黄昏とともに始まり伝説の勇者が呪われた少女を救済することによって調和のための争乱に終止符を打つ。ただしこれは機械が導入され勇者と魔王が共犯関係になるまでの話である。
・異世界ファンタジーの近代化は呪われた少女を魔女にして大量破壊兵器の生産体系を確立し原初の母をマッドサイエンティストにして怪物を創造するという喜びを与える。一方で父親は悲劇の経験からロボットを人形として少女化させる研究が能力の人体実験で行われる。これこそが魔法少女誕生の歴史である。
・父母を大量生産するには永遠の生命が貨幣によって資本になるか輪廻転生が商品化されるかしなければならない。だから発明が行き詰まると別世界から特殊能力を餌にして人間を輸入しなければならない。人格交換のネットワークと時間のループは少女の文法を混乱させ父親を始祖とした動物の快楽を得る。
・少女の魔法を解くためにはどうしたらよいのか。これは電気の使用価値とは何かということである。家電製品のターンが終了しつつあるということ。代用エネルギーの主張は電力が火力や労働力よりも使い勝手がいいという重要な事実を無視している。だからこそ楽器は独立した地位を持っているのだ。
・楽器が声をカードで召喚するにはヴァーチャルアイドルをチップデータでウイルスバスティングをシミュレートするネットナビであると見なす必要がある。この必要性が消滅したのはipodスマートフォンで音楽と声がクラウドのアプリとして可視化されて持ち運びができるようになったからである。
・だが意識が何らかの宇宙的存在に占領されるという感染の恐怖は残る。だから意識を電波変換し狂気を純化することで可視化された声のデータベースを特定の攻略パターンに基づいて人格をトレースする。これが何の媒介もなしに行われるのは危険だから意識と重ね合わされた症候のカードが生産される。
階級闘争のゲーム化。異世界ファンタジーと幻想郷は決定的に対立すること。したがって物語生産を雇用関係に置換するだけで問題のカードゲームが実践される。つまり東方のキャラが異世界ファンタジーのTRPGをゆっくりボイスで実況するのは限りなく解答に近いのだ。後は人狼ゲームを組み込めばいい。

壊変性楽器による声の召喚4

・自然を労働の技術として生産することで利益の証拠である貨幣を、商品のイメージであるキャラクターの声を担保できるスマートフォンと交換するには少女か怪物のカードが欲望の対象として表現されなくてはならない。しかしこの解釈では魔法少女や変身ヒーローにならなければ時間を道具に搾取される。
・神々の依代として生きた貨幣である少女の身体をゲームの道具として利用するためにはカードを症候として召喚しなくてはならない。ただし症候がフェティシズムや倒錯になれば商品になって貨幣で購入されてしまう。恐怖の能力が義務になるのは不安が道具によって排除されない限りでである。
・問題は貨幣を所有する限り欲望の対象は少女になり、カードのプレイヤーである限り王者の二重人格にならないのなら欲望の対象が近親相姦か百合のカップルにしかならないということにある。怪物との結婚は象徴的なイメージによって反復されるにすぎない。つまり王の系譜の誕生がゲームで反復されるのだ。
・悪魔の契約から闇の力を授かるのか妖精の願いから魔法の石を預かるのかは通信料金と体力の意味でどうでもいいとはいえない。もちろん覚醒した妹の能力で覇王になってもいいのだがそうなると性欲は無限でなくてはならない。それで友達の協力が必要なのだが報酬は敵から奪って山分けにしなければならない
・ネット上のフリー素材がクラウドとして提供されるだけではキャラクターカードを生産することはできない。仮にイラストレーターなどに委託する場合はパックやガチャのようなランダム性を付与しなければ交換価値にならない。しかしある特定の世界観の二次創作では名前を公表しつつカードを販売できる。
・まなざしと声にセクシュアリティをカード化する者は手を利用して快楽を与えるということを自分一人でやれてしまう。恋愛の可能性は失墜の快楽を味わうだけになり、労働力が性欲によって担保されているということを少女化された商品に賭けることは電話の声なしにはできなくなる。
・自分の声だけで快楽を得ようとすることはパラノイアになる。シュレーバーのように神は私に声によって快楽を強制しているのでなければならない。だからアニメ声優にはキャラクターの媒介が絶対に必要なのだ。だが愛の言葉と快楽が両立するのは兄妹の近親相姦でしかない。家族には性の証拠がないからだ。
・つまりセクシュアリティジェンダーとして問題提起してはならない。そうすると強姦とそれを喜ぶ女性としてしか定式化ができなくなる。純愛はストーカー殺人にしか行き着かない。恋愛を商品化することは二重の欺瞞を含んでいる。恋愛が不可能であるだけでなく恋愛の気分が詐欺でしかないということ。
・資本主義は子供を産むことの代わりに商品生産に投資することで技術基盤を拡大するのだが、子供を直接生産するには政治的に結婚を強要するか神々からの贈り物として扱うかのどちらかである。前者は恋愛結婚を延命させるために導入されるにすぎない。全体主義のロマンスは革命の悲劇と対になっている。
・後者は科学が不妊治療と人工受精が一般にうまくいくようになるという期待が持てるならなんの問題もない。男は子供の着せ替えごっこや人形遊びに夢中になり、女は子供のための母体として「開発」されるだろうが、なんの問題もない。ただ私にはそういう期待を持てないというだけののことだ。
・沈黙は純粋に孤独は誇りを持って富の所有は優雅に知識を見せびらかさない思慮を残酷にならないだけの勇気で支え厳格にならない程度の楽しみを節度のある快楽として芸術に親しみ毎日の労苦に感謝しながら礼儀と威厳を兼ね備える。こういう儒者流の道徳では欲望の体系である資本主義に勝つことはできない
・神々と核兵器の結婚は原発事故による声の誕生をカードで召喚することによって成就する。各人が自分自身の核兵器を召喚できるようになるにはスマートフォンを身体の正当な使用者としてプレイヤー化する必要がある。しかしこれだけでは個人的身体のメルトダウンで伝言ゲームを拡散させることはできない。
・ヴァーレントゥーガのシステムは帝王の系譜である紀伝体の歴史をヘーゲルディスクールで人材獲得競争のゲームにしたものだが、このシステムの弱点はプレイヤーが唯一絶対の神でなくてはならないという点にある。神はあらゆることに干渉し列伝持ちの勇者を運用して世界を救済しなくてはならない。
唯一神は休憩のため定期的に人類の大量虐殺や民族の絶滅を必要とする。そうでないと人間達がまじめな労働によって文明を維持していることの実感が持てないからである。悲劇的なものを呼び覚ますには終末のヴィジョンが必要不可欠なのだ。カードゲームは核兵器を召喚する度に人類の滅亡を反復する。

壊変性楽器による声の召喚3

・スクリーン上のキャラクターに消費者のまなざしを送ることでスピーカーやイヤホンから生の声を受けとるゲームはただちに「俺の嫁」を大量生産し恋愛を物語るためのアニメ製作者達を誕生させてしまう。だからまなざしの無数の窓に対応するためにカードが貨幣と交換されなければならない。
スマートフォンは哲学者を大量生産する。スマートフォンを使うだけでタッチパネルのプラトン主義からウィトゲンシュタイン言語ゲームまで空虚さの狂信である哲学的ディスクールを実践できる。しかも持ち運びに便利で余計なおしゃべりをせず従順でありコピーをすることすらできる。
・資本主義では人間が無限に階級闘争という財産の奪い合いゲームを行うか永遠に新しい投資対象が発見されると仮定されなければ貨幣を所有する意味が失われる。貴族のような特権階級と単なる金持ちの違いはここにある。見せびらかしに飽きられると無駄でない商品を買う魅力も出世の意欲もなくなってしまう
・投資に利益が出る見込みがあるのでなければ労働力を割り振れずそれは公共政策にしなければならないというのは現在では要求に合わないか、人類と地球環境の保護という名目でしかできない。コストとリスクという概念は致命的であるように思われる。
・人気とは他者の声だとしたらどうだろう。だがそもそも自分の声というものはあるのか。録音された声は幽霊が住み着くだけだし、歌手の声は人魚姫の悲劇を繰り返しているだけではないのか。電話番号が声の担保だとしたら、おれおれ詐欺は大切な人の声を代弁しているのではないだろうか。
国民投票は民主主義を踏み台にするためのポーズであり、携帯電話のネットワークを流通の基準にするのはポピュリズムや知識人の反乱に対処するための口実であり、TRPGをテキストとして導入するのは人気投票を権威にしたてあげるための儀式であり、プレイヤーの召喚は政治の可視化をSLGにする。
・なんというか私には色が見えることの恐怖と写真は礼儀知らずだという強迫観念があって、それで『グラスリップ』の印象派風の絵をカメラの視線で音楽とともに動画として再開するという手法が色彩のないガラスの世界に色のついた光が射し込んできたように感じるのだ。
・対テロリズム戦争の根本的な弱点は経済総力戦において職業軍人や兵器に投資することは実態経済ではうまくいくように見えるが実際は維持費によって純粋な損失を増やしているだけだということにある。つまり安全のための投資は国債と同じ意味を持っているということだ。
・国家への信頼はテロリストの脅威や資金提供の遮断によって形成されるが、テロリストグループの規模はそれに比例して強力になるのだから経済面では明白に共犯関係にある。テロリストでも生活はしなくてはならない。これは民主主義への脅威となる独裁国家への対応でもまったく同じことが言える。
・国家の威信がかかっている場合、安全や兵器の技術水準を下げるなどということは考えられないし、サービス業者や軍人が自分達の職務をなくしてしまうようなことを求めるなど考えられない。たとえそれが儀礼上主張される決まり文句になっているとしてもである。
・仮に国家が軍隊や技術を制御できないと告白するとしたら、自身の統治の正当性を放棄すると宣言するに等しいことになる。したがってスローガンは叫び続けなくてはならないし現実を認めてもならない。残る問題は『制御されている』軍隊や技術をどうするのかだが、これは当然「平和利用」ということになる
・ゲームには二つの選択肢がある。人を自由に殺し続けられる仮想空間を導入するか、人を殺すことがつまらない作業のような単調さになるかである。リアリティを追及しているのは後者の方であって前者ではない。決闘を楽しくするために人気のあるゲームを開発することが利益になることがわかるだろう。
・理論的には人類の敵である核兵器を平和利用ではなく娯楽として濫用する方法があればいい。これによって人間は絶えず殺されている状態になるわけだから、核が世界征服をするポーズを取りさえすれば無限にそれに反対しようとする勇者がでることになる。
・ここで異世界ファンタジー世界の勇者に転生したり魔法少女に変身して世界を救済する役割を持つ労働者と、幻想郷で勇者の能力である核の症候をカードとして召喚するプレイヤーとに人間としての態度は分かれる。つまり技術の利益を信じるのか表現の欲望を実践するのか。

壊変性楽器による声の召喚2

・いかにして何かしているような見かけをとらずに何もしないことができるのか。好きなことをするための自由な時間ではなく悠久の虚無である退屈と倦怠に耐えることを特権として宣言しよう!死者や動物は退屈に耐えるということがないのだから、無知への勇気こそ計画や教育という奴隷化を軽蔑できるのだ。
・後は念仏を唱えるだけだということか?発音とリズムが心地よく反復しても飽きない言葉のパターン。しかし私は声の抑揚を取り戻したいのであって、眠気を催したいわけではない。すると自分が言ってみたい決め台詞を考えるということになるのか。厨二病は必殺技の宗教的本質の開眼であるわけだ。
・私の暇潰しは「真剣に考える」ことだったのだ。実際これにこそ宗教的儀式の情熱があるといってもいい。真面目に相手を軽蔑すること。こういったことがどれほど文化の発展にとって重要であることか!真面目には信頼されるなにものかがあるのだ。
・声の伝言ゲームにおけるシニフィアン連鎖。いかにして声は顔に話しかけるようになるのか。なぜ身体が空虚さによって動いているのか。名前をつけることがなぜ顔を見るようにさせるのか。鼓動の誕生における視点を自覚するところからだろう。羞恥心は自分が裸であることを知らなければ生まれない。
・人を辱しめることが可能だと信じるためには、異性の裸を見ることは恥ずかしいことだということを知っていなくてはならない。だがどこに異性などというものがいるのか。これは人間は裸で生まれてくるという発想の飛躍が必要である。子供という概念は異性に対する例外としてしか機能しない。
・結婚とは子供が異性から生まれてくるという説明のためのフィクションだ。というのは誕生がなにものかによって行われたとする証拠などないのだから。もし証拠があるならば、なぜ誰から生まれたのかを記録する必要があるのかまったくわからない。墓を作らなくてはならないのは証拠を残すためなのだ。
・子供を育てることが親によって行われなければならないということを基準にして裸の子供という結婚の概念が作られている。名前をつけることが親の権利であるというのは子供の所有権を主張するためなのだ。これが遺産相続によって兄弟殺しを促進させている。
・資本主義において賃金が上がるということは商品の価格が上がるということである。つまり投資が拡大して商品が高くても売れるのでなければ物価が上がるだけである。だからたとえもうどこにも投資する機会がなくても利潤を賃金を上げることに使うことはできない。これは近代経済学の基本である。
・もちろんこれは純粋に学術的な説明である。問題の本質は貨幣によって効率的に計算できる職種ほどこれが適用され、特定の地位などには高い給与を正当化するプレミアムが付くということである。最低賃金を保証することが失業につながるのはあらゆる労働者が効率的に限界まで働くと仮定した場合だけである
・最新技術が投資の対象になるのは従順でない労働者を機械に置き換えるためなのだが、そうすると正規の現場の人は更に忙しくなり、技術のない非正規雇用者は更に待遇が悪くなる。努力が足りないという意見が出るのはこの文脈においてである。
・貨幣を売ったり捨てたりすることがどうやったらできるのか。自分の苦労の成果を誰かにわかってもらいたいということが貨幣によって普遍的になったこと。もうひとつは貨幣は貨幣を利潤で増やせること。たとえ人類を購入できる資金があっても貨幣のやりくりが大変になるだけではないのか。
・サービスが専門化されると資産を持つ人は外部依託した方が効率的になるのだから、自身の能力や生活すら最終的には依託するようになる。貨幣を持つ限り不動産を持つより旅客であった方が選択肢が増えるからだ。ここまできたら、わざわざ自分にとって嫌なことをしたり見たいと思うだろうか?
・人間が身体で数えられそれらが個々の独立した人格を持つということが貨幣を所有することの本質ではないのか。もちろん階級闘争によって意識は「疎外」されるわけだが、個人の不満はすべて自由への侵害として主張される。つまり労働で貨幣を入手することが目的になるわけだ。
・経済学では人が自発的に奴隷になったり、利益なしで人が動くことはあり得ない。それは好き嫌いであるか選考の問題である。これは人が自分の好きなことやどうすれば自身の利益になるかを知っていて、それに応じた行動ができる場合にのみあてはまる。だから人気投票だけが可能なのである。
・人気投票は何のためにあるのか。自身の好き嫌いを個人として確認するためである。これはすべての統計の基本である。ルソー的一般化と「お前はわかってない」がどのように世論になるかはコンピュータの集計で得られるわけだ。口コミによる大衆的前衛の反復もシステムを変えれば同じやり方で得られる。