風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

壊変性楽器による声の召喚3

・スクリーン上のキャラクターに消費者のまなざしを送ることでスピーカーやイヤホンから生の声を受けとるゲームはただちに「俺の嫁」を大量生産し恋愛を物語るためのアニメ製作者達を誕生させてしまう。だからまなざしの無数の窓に対応するためにカードが貨幣と交換されなければならない。
スマートフォンは哲学者を大量生産する。スマートフォンを使うだけでタッチパネルのプラトン主義からウィトゲンシュタイン言語ゲームまで空虚さの狂信である哲学的ディスクールを実践できる。しかも持ち運びに便利で余計なおしゃべりをせず従順でありコピーをすることすらできる。
・資本主義では人間が無限に階級闘争という財産の奪い合いゲームを行うか永遠に新しい投資対象が発見されると仮定されなければ貨幣を所有する意味が失われる。貴族のような特権階級と単なる金持ちの違いはここにある。見せびらかしに飽きられると無駄でない商品を買う魅力も出世の意欲もなくなってしまう
・投資に利益が出る見込みがあるのでなければ労働力を割り振れずそれは公共政策にしなければならないというのは現在では要求に合わないか、人類と地球環境の保護という名目でしかできない。コストとリスクという概念は致命的であるように思われる。
・人気とは他者の声だとしたらどうだろう。だがそもそも自分の声というものはあるのか。録音された声は幽霊が住み着くだけだし、歌手の声は人魚姫の悲劇を繰り返しているだけではないのか。電話番号が声の担保だとしたら、おれおれ詐欺は大切な人の声を代弁しているのではないだろうか。
国民投票は民主主義を踏み台にするためのポーズであり、携帯電話のネットワークを流通の基準にするのはポピュリズムや知識人の反乱に対処するための口実であり、TRPGをテキストとして導入するのは人気投票を権威にしたてあげるための儀式であり、プレイヤーの召喚は政治の可視化をSLGにする。
・なんというか私には色が見えることの恐怖と写真は礼儀知らずだという強迫観念があって、それで『グラスリップ』の印象派風の絵をカメラの視線で音楽とともに動画として再開するという手法が色彩のないガラスの世界に色のついた光が射し込んできたように感じるのだ。
・対テロリズム戦争の根本的な弱点は経済総力戦において職業軍人や兵器に投資することは実態経済ではうまくいくように見えるが実際は維持費によって純粋な損失を増やしているだけだということにある。つまり安全のための投資は国債と同じ意味を持っているということだ。
・国家への信頼はテロリストの脅威や資金提供の遮断によって形成されるが、テロリストグループの規模はそれに比例して強力になるのだから経済面では明白に共犯関係にある。テロリストでも生活はしなくてはならない。これは民主主義への脅威となる独裁国家への対応でもまったく同じことが言える。
・国家の威信がかかっている場合、安全や兵器の技術水準を下げるなどということは考えられないし、サービス業者や軍人が自分達の職務をなくしてしまうようなことを求めるなど考えられない。たとえそれが儀礼上主張される決まり文句になっているとしてもである。
・仮に国家が軍隊や技術を制御できないと告白するとしたら、自身の統治の正当性を放棄すると宣言するに等しいことになる。したがってスローガンは叫び続けなくてはならないし現実を認めてもならない。残る問題は『制御されている』軍隊や技術をどうするのかだが、これは当然「平和利用」ということになる
・ゲームには二つの選択肢がある。人を自由に殺し続けられる仮想空間を導入するか、人を殺すことがつまらない作業のような単調さになるかである。リアリティを追及しているのは後者の方であって前者ではない。決闘を楽しくするために人気のあるゲームを開発することが利益になることがわかるだろう。
・理論的には人類の敵である核兵器を平和利用ではなく娯楽として濫用する方法があればいい。これによって人間は絶えず殺されている状態になるわけだから、核が世界征服をするポーズを取りさえすれば無限にそれに反対しようとする勇者がでることになる。
・ここで異世界ファンタジー世界の勇者に転生したり魔法少女に変身して世界を救済する役割を持つ労働者と、幻想郷で勇者の能力である核の症候をカードとして召喚するプレイヤーとに人間としての態度は分かれる。つまり技術の利益を信じるのか表現の欲望を実践するのか。