風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

戯言遣いの生産2

労働力と職業倫理の問題。訓練によって資本化した我々一切の価値の価値転換、つまり一つの運命にとって、「すべて」は道具なのだから、敵は存在せず排除されている。生における一度限り決定的にという古典的な宿命の水準を乗り越えたところから永劫回帰の運命愛は始まる。一つの記号に対する「すべて」の意味を不断に再生産し続ける運命愛においては、意志と運命が交換可能なものになるのだ。二つの基準、「生」を与えるか、運命(意味)を与えるか。科学は生を与えるが意味を与えることはできず、宗教は意味を与えることができるが生を与えることはできない。神に対する犯罪の禁忌と生に対する犯罪の汚辱。仮に学問と芸術によって生と運命、神と救済の両方を与えることができるのだとしても、永劫回帰と復活の基準である意味の再生産は解決されたことにはならない。ニーチェは古代の戦争の敗者に許された自殺と心中の権利を尊重しているとはいえ、永劫回帰の基準からみればそれは弱さの表現であり、強さに許されているのは狂気でしかない。だからイエスの言う贋金造りが問題になる。貨幣をあくまで手段と見なしつつ稼ぐためには、常に貨幣についての洞察となるような言説を生産すればよい。小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、不正の富に忠実な人は、本当の富にも忠実なのだ。当然この事は、真理や権力などにもあてはまる。