風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

爆発探求3

言葉が意識の正当化を与えるにも関わらず、言葉の使用が意識を矛盾させるようにするためには、言葉が生産された余剰物であることを示す必要がある。そのためには言葉が日常において占めている役割について分析すればいい。言葉が使用されるのは発話行為においてであり、それは名前が呼ばれるという事実にある。名前が呼ばれ続けるためには言葉が何を意味するのかを発話者が知っている必要がある。名前が意識に耐えられるものでしかあり得ないという事実から出発して意識に矛盾させ続けるような名前で呼び続けるということは、名前が洗礼の役割として、発話が信仰の表明になるということを、呼ぶという行為によって反復するということである。つまり名前は日常言語の一部になる。いかなる匿名性でもありうるような固有名。そこで人は不明瞭な音を発したくなるような沈黙に行き着くことになる。だから私は言う。「私はダイナマイトだ」と。爆弾発言とは発話行為の真正さに対する直接攻撃なのである。