風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

爆発探求2

神ではなく自己意識(同一の他者)を出発点とするような近代の方法は自己意識の保存に終わってしまうということ。このことから残っているのは自己意識の放棄だけなのだが、自己意識を放棄するとはどういうことなのか。それは意識のカテゴリーに矛盾するような概念を意志することに他ならない。もしそんなことは不可能であり、明晰に認識することができるものだけを意志すべきだと主張するなら、誰もが「これはやっちゃダメ」というようなことを察するような明晰さに終わってしまうだろう。いかなる「不幸な意識」も何かを開始するための口実としてのみ、語ることが可能なのだから、流通の担保として存在する日常言語の会話が禁止されるということこそ、売買が終わるところになるのだ。言葉が記号の差異しかないというような立場は想像することができないという事実から、価値とは日常言語との差異であることがわかる。価値が流通するためには会話が必要なのであるが、まさにその事によって孤独が価値のあるものとなる。会話の(計算の)回数を減らすことに価値があるのは、ある特定の流通に税がかかる場合だけなのだから(メディアの価格)、孤独の場合には同じことになる。