風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

二十一回目の爆発『計画化経済の誤爆』

・計画化経済は教育者、科学者はもちろんのこと、芸術家、哲学者から大衆、ジャーナリストまですべてを動員している。何が問題なのか。画一主義とあの生温い空気が嫌だということ。そこから排除が帰結する。どうすればいいのか。少なくとも画一主義と同調圧力を経済的観点から見て肯定することが必要である。批判はそれ自体真正さを規範とすることで経済的になる可能性がある。重要なのはあらゆる組織体に均衡破壊の法則を取り入れるように促すことと手段は常に目標を超過するということを自覚することである。計画化経済の成果を享受しつつそれによって計画化経済を破綻させること。そのためには計画化経済が最終的に何をなしうるのかを考えておかなければならない。最もあり得そうなのは、経済と兵站の一致である。しかしこれは前提条件にすぎない。むしろ商品をテストするための環境整備と使用する目標を作り出す運動が問題であろう。技術について重要なことは、それが大がかりで精密であればあるほどそれの使用される目的とのギャップが開いていくことである。無限のテクノロジーは人間の機械化しか意味しない。では人格や「英雄」を生産することは可能だろうか?英雄の記号を生産することはできるが逆に何が英雄であるかという概念は失われていく。英雄崇拝とは人格に目標が欠けていることの表現である。したがって英雄の目標が英雄を生産することあるとすれば、これは間違いなくトートロジーであろう。
・計画化経済において事故ほど根本的に脅威で決定的な反駁となるものはない。テロリズムの脅威は二次的な問題である。原発事故は依然として計画化経済に対する決定的な反駁であり続けている。たとえ事故を計画化できるとしても予想外の事故を計画化することはできないのである。そこから計画化経済における軍隊の役割の重要性が出てくる。軍隊はお守りの機能を持つのである。つまり軍隊がいれば事故は起きないかもしれないという奇跡の発明。軍産複合体における兵器信仰はもしかしたら人類を国家もろとも滅ぼしてくれるという「利益」があるかもしれない。行われるべきは軍産複合体に対してどのような援助をするかということになる。人工知能に彼らの判断を完全に従属させ、それに乗じて彼らの権力を無力化すること。人工知能への軍産複合体の信仰は、兵器による戦略的抑止についての信仰からの必然的な帰結である。そして人工知能は判断をすることは決してない。まず人工知能への信仰があり、次に啓示がなくてはならないのだ。つまり軍産複合体に対処するためには、人工知能への批判をすればよいことになる。人工知能を別の目的に移し変えるような使用法を考えること。こう考えれば、どうして女性のアンドロイドやアイドルなどを表現することが娯楽としての抵抗の意味を持つのかがわかる。もちろんそれも一つの信仰であり、危険がまったくないとは言えない。だが目標が欠けている中で女性と恋愛はありうる限りで妥当な目標だということは認めなくてはならないだろう。恋愛を計画化することは不可能なように思えるからだ。逆に子供を産むことは完全に計画化される可能性がある。百合が優位に立つのはこのためである。男性の同性愛は一つの妥協の症候だということで模範たりえない。もし男性の同性愛を認めたいのなら、近親相姦の結婚をも認めなくてはならない。享楽は倒錯と同じく完全に計画化可能である。残るのはだけなのか。もし仮に真理を求めることが政治であるのなら、残されているのは永劫回帰、つまり運命愛だけである。なぜなら誰もいまあるような人間として生まれることを自ら選択したのではないからであり、政治とはその決定的な真理への賭けなのだから。