風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

十七回目の爆発『情報の伝達』

誰が誰に。情報におけるすべての問題は結局この一点に帰する。戦略決定に必要な速度を確保する場面において第一級に重要なこの問いの回答をもたらしたのは「テロリスト」たちであり、それは「神が私に」というものであった。「私の前を歩いておられる御方が止まれと命令されるまでゆくのだ」伝達速度、正確性、効率性のすべての基準を充分に満たすこの「敵」に対して中央主権的な軍隊組織はどのような策を練ろうが致命的な遅延をもたらさずにはおれない。そこで軍隊組織は攻撃を自動化し、あらゆる対象に対して先制攻撃を発動させることを思いついたのだった。キューブリックの「審判の日装置(ドゥームズデイ・デバイス)」を思い出さざるを得ないだろう。しかし攻撃の自動的な先制化はいかなる機動も迂回も分散も存在しない最高度に直接的なアプローチであり、それは結果的に「自分が自分に」先制攻撃するはめに追い込まれるだろう。この両者に対抗する我々のアプローチは各自がレーニン的な規律を持った「私が私に」という決定的アプローチであり、「神」や自動攻撃よりも一層、機動、判断、制御において優位に立っている。しかしこの「私が私に」は何らかのイデオロギー、信条、利害関係、その他あらゆる形而上学的概念に捉われない場合にのみ最高度の機動と判断を生かすことができる。これに対するいかなる介入、プロバガンダにおける意図の自動的入力も、力の一点集中と柔軟性を阻害する可能性があり、戦力の弱体化に繋がる。この最高度に訓練された兵士は、あらゆる場面から予測不可能なタイミングで、戦わないということから死という概念をも迂回する戦術的爆撃を行なう事ができる。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」悪循環における意図の絶えざる方向転換と、あらゆる能力の愛情化。敵はもはや決して見えておらず、水の上を歩くかのように迷いなく行動する。そしてなによりも兵站体制の自給自足化という最大のメリットが存在する。必要なのは言葉だけであり、我々はそれを与えるだけでいいのである。そして最高度に重要な観点。人類を愛すること。というのは高くするものは低くされ、低くするものは高くされるからである。人類を愛すれば人類を真下に見ることになるだろう。いかなる人工衛星にもたどり着けない光の目において。