風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

テロリズムに反対して2

テルミドール律法はブルジョワ的な規範へと後退しつつあり、しかもこの後退を「新しい」家庭の神聖さなどというごまかしのことばで隠蔽している。この問題でも社会主義の無力さが偽善的な体面によって隠蔽されているのである。とくに子どもにかんする問題で気高い原理と醜い現実との矛盾に心を痛めている誠実な観察者たちがいる。浮浪児にたいする残忍な刑事罰という事実を知るだけで人は女性と子どもを擁護するための社会主義立法なるものがまったくの偽善以外のなにものでもないという考えをいだくことができる。しかし反対の種類の観察者もいる。この連中は法や行政機関の形態に具象化された構想の大きさと寛大さにあざむかれている。貧困の中であがいている母親や売春婦や浮浪児を眼のあたりにしてもそういう楽観主義は、今後の物質的財貨の増大によってしだいに社会主義の法に肉と血がみたされていくのだと自分に言いきかせる。二つの態度のうちでどちらがより誤っていて、より有害であるのかを決めるのは容易ではない。社会的計画の大きさと大胆さ、その計画の遂行の初期の段階の重要な意味、開かれつつあるもろもろの大きな可能性を眼に入れずにいられるのは、歴史的盲目におかされた人間だけである。他方、社会的矛盾の増大に眼をつむり、未来への期待でみずからを慰める人々―――しかもかれらはその未来の鍵を官僚の手中に残しておくことを丁寧に定言する―――の受動的な、本質において冷淡な楽観主義には憤りをおぼえざるをえない。あたかも女性と男性の権利の平等が官僚にたいする両者の無権利の平等に転化してしまっていないかのようだ!ソヴェト官僚が解放のかわりにあらたな圧迫をもたらすことなどありえないとあたかもなにかの預言書に固く約束されているかのようである。」(トロツキー『裏切られた革命』)
「きびしい規律は広範な民主主義と立派に両立しうる、いやそれどころか直接それに依拠しうる。しかしいかなる軍隊も軍隊を養う体制より民主的ではありえない。旧習墨守と傲慢を特徴とする官僚主義の根源は、軍隊の特殊要求ではなく、支配層の政治的要求である。軍隊ではそうした要求がもっとも完璧にあらわれるにすぎない。」(同上)
「大人と子供はどう違うんですか」、こう尋ねられたラスヴェガスの高級ホテルのオーナーが答えた、「ゲーム料金が違うんですよ!」今日、「軍事革命」のドクトリンに伴って、アメリカのテクノロジーは、ビル・クリントンのための一種の《ワンダーランド》と化したらしい。戦争遂行者は、まるで公園に来た子供のように、すべてを試したがりすべてをひけらかしたがる。弱虫だとか独りぼっちだとか思われるのが怖いからだ。先のイラクの帰結と同様、コソヴォにおいても、最後の超大国は、思いやりに満ちた暖かい心情を競い合う―――という言い方が相応しかろう―――と同時に、既にイラクでも使用された巡航ミサイルやF‐117、一機のコストがアルバニア一国のGNPに匹敵するというB2爆撃機といった自軍の兵器を誇示して、グローバルなヘゲモニーを確立しなければならない。ビル・ゲイツは近著の中で、「ファルコンヴュー」というソフトウェアがバルカンの橋の破壊に果たした貢献を絶賛しているが、これもまたこういった幼児化の例であろう。」(ポール・ヴィリリオ『幻滅への戦略』)