風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

十一回目の爆発『軍隊の問題』3

あらゆる文献学者が認めている事実として軍隊が産業発展に果たした役割がある。軍隊は手段としての暴力を最大限に行使できるような商品を発明するのである。さらに軍隊は発明した商品の消費者として商品の質の向上のためにさまざまな実験を行い、犠牲者を生産することで新たな商品の発明を行なうのである。たとえば核兵器によって人類を滅亡させることができる商品を作った軍隊は、その実験に成功し、それを詳しく調査し、別の商品形態として改めて実験することでまたしても成功を収めたのである。ところでコンピュータはまさに犠牲者をシミュレーションによって不死身にし、何度でも繰り返し人類を滅亡させることができるようになったのである。イノベーションとはコンピュータの模倣に過ぎない。いまや軍隊は平和のためにあらゆる実験を人間に対して行なう事ができるのだが、我々はもう軍隊的実用主義がどれほど不合理になりうるのかということを経験している。社会は存在しないということから出発するなら、社会から排除されることが問題なのではなく、社会排除することこそが問題なのだ。社会平和とはいつも専制の道具であり、典型的なブルジョワイデオロギーではなかったか?社会があれば平和がありうるというのはひとつの迷信であり、それは社会契約という概念に象徴されている。ここで注意すべきなのは「真の」平和とか「真の」社会とかいうものを欲望してはならないということである。社会における暴力は決して社会が存在することの証明ではない。社会を壮大な建築物によって物質化しなくてはならないということ自体がひとつの反駁である。立派な建物があるだけなのだ。同時に私はあらゆる社会否定の考えであるアナーキズムも反対する。権力や抑圧をなくすのは生産をなくすのと同じであり、それは完全な不毛にしかなりえないだろう。したがって社会主義や民主主義や共産主義などは全て単なる冗談になる。社会を欲望すること自体が平和の禁止を生み出し軍隊を強化するのだ。平和を守る為に軍隊が必要だというのは近代的理念の迷信である。私が言いたいのは、アメリカや中国が悪質な軍事的挑発をしていることは確実であるとしても日本が同じようにするというのは太平洋戦争のときと同じように自滅への道であるということである。アメリカはローマ人の信仰を保持しており、常に相手が野蛮人で自分たちは国家存続のためにあらゆる手段をとらなければならないという考えにもとづいて行動しているが、彼らはローマの滅亡を受け入れていないのである。おそらく中国も中華思想から同じような結論を引き出すかもしれないが、ここで問題なのは日本の土地面積、人口、資源のどの点から見ても軍事的にアメリカや中国に勝てる可能性などないということだ。奇襲による短期決戦などもう夢でしかない。戦争を望んでいる人間たちは「カルタゴを破壊せよ!」と言われたいのだろうか?相手の挑発にのり。開戦の口実を与えたら最後には夜郎自大の身振りすらできなくなるということがわからないのだろうか?ところで引用したマハンの言っていることは現在の企業戦略にも完全に当てはまる。問題になっているのは軍隊を生産的にすることだが、どうあがいてもこのことは農民の利害関係と激突する。ただ物資の供給手段として扱われることなど農民は望まないから戦争の大儀がなくてはならないが、そんなものはもはやありえない。農民を軍隊にすることは一旦工業化した以上効率性の観点から現実的ではない。それは明らかに生産手段が相対的に遅れているときにしか実行できないのだ。したがって軍隊を維持するためには無理な増税に頼るしかない。だがそれをやれば必ず農民の反発を受けるだろう。それを軍隊で鎮圧するなら生産を大幅に減少させることになる。これは間違いなく悪循環である。平和を守る為に軍隊を増やして生産基盤を破壊していくのだから、投資信託の子会社の運営に失敗した人間と同じようにひたすら自分を騙すことしかできなくなる。最後に女性の補給問題についてはどうだろう。軍は女性を略奪しまなざしによって保管しておくとでもいうのだろうか。まなざしに女性が映らなくなるためには、ただ一人の女性だけが常にまぶたの裏に焼きついていなくてはならない。女性は見たいのではなく、見られたいのであり、それも自分だけが見られたいのである。女性のまなざしというものは存在しない。あるのは(異性の)まなざしを受けているという感覚だけである。したがって女性のまなざしは硬直しているか、さもなければ硬直させるかのどちらかだということになる。硬直させる過剰露出に対抗するためには暴露させる(つまり硬直させる)ために隠すのではなく、隠すことそれ自体のまなざしが発明されなければならない。女性はまなざしから見えないのでなくてはならない。そこで完全失明の道具がと合わせて世界と女性の生産とともに発明されることになるのだ。