風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

記号少女達の道具反乱2

記号少女達を破綻させるための最も有効な方法は恋愛をさせることである。なぜなら道具であることの媒介的機能を持つことのデットロックは恋愛を普遍的に行なう事はできないということに支えられているからだ。恋愛=物語が始まりうる可能性は二つある。それは誰かがひとりの女と運命的な出会いという過ちを犯すか、告白をできずにいるひとりの女―――つまり少女―――が暴走して男に発見されるのかのどちらかである。もし誰かが女に出会わずに物語を語る場合はなんらかの理想や真理が必要となる。真理と女は両立しない。どちらか一方を選ばなくてはならず、もし「真理は女である」を選んだ場合には、すべての女を助けようとしてひとりの女を選ぶことができないか、すべての女を本気に誠実に愛するが故に、一人ひとりの女に八つ裂きにされるかである。残る選択肢はすべてである女―――すべての女ではない―――である少女や人形などの娼婦だけである。ところですべてである女とは女ではなく、道具に過ぎない。同性愛とは女以外を愛することである。こうなると女は男に発見されるためには少女や人形(の仮装)になるか、それとも男自身がひとりの女になるかである。だがこれは倒錯の状態によってひとりの女と運命的に出会うということを反復しているにすぎず、「真理は女である」というひとりの女である真理を維持するためには唯一の女、つまり「母」を求めるしかない。というのも父や兄弟姉妹は象徴的に交換可能性を持つが、母は交換できないからである。たとえ体外受精の可能性が全面化したり、その人が直接生みの親ではなかったり、母が死んで不在でも母の不在の唯一性は維持される。このことは母の不在はありえないが父の不在はありえるということを意味する。だが母をひとりの女として出会ってしまえばそれはもう「唯一の」母ではなくなってしまう。たとえ他に出会うひとりの女が母としての形式をとるとしてもである。そこから不在の母に対する憎悪が出てくる。それは自分が人間という生物から生まれたことに対する憎悪である。それだけが母を禁止の状態に、つまり自身を告白できないひとりの女になることを達成できる。母に出会うためには、母が娼婦になるか、自分が少女―――告白できないひとりの女―――であり続けるかのどちらかであり、どちらにしても女との出会いは禁止される。こうなると残る可能性は「汝の隣人を汝自身のように愛せ」だけである。もしひとりの女と出会うことを諦めないのならすべてである女を八つ裂きにするしかない。なぜなら殺すという形式だけが、恋愛において少女をひとりの女に変えるからである。もし「真理は女である」という形式を維持するのなら女と出会うことはありえない。女は真理の仮象となっていなくなってしまう。こうして記号少女達を仮象にもどすことができるようになる。