風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

ゲーム的世界観における「自然への回帰」3

結局のところ形式的平等を超える生産関係とは何なのか?これは問いそのものが間違っている。およそ交換価値をもつような生産関係一般はすべからく形式的平等を必要とするのだ。資本主義はその結果にすぎない。どのような生産関係でも道徳的抑圧は存在する。なら価値を交換するということ自体が疑問視されなくてはならないのか?それは人格の価値を否定することにほかならない。人権、権利の平等その他諸々はすべてこの人格の価値をもとに構成されているのであり、人間はこの価値を捨てるぐらいなら搾取を受けるのもあえて辞さないだろう。そして搾取の悪循環にはまるわけである。主人と奴隷の弁証法。人間の尊厳は貶められるためにのみ存在するのだ。この悪循環から抜け出すためには、完全なる怪物性の人格を手に入れることが必要となる。道徳批判による一切の価値の価値転換。そしてここでこそ歴史のアイロニーというものを垣間見ることが可能になるのだ。コンピュータの決定的な性格とは情欲と人格の使用価値を切り離すその徹底性にある。コンピュータはマルクス主義が目指していた生産手段を持った人格の反対である人格を持った生産手段なのである。コンピュータはマルクスが言うようにしゃべりだす。ただしこの人格は普遍的に無内容な空虚な主体であり、その空虚さ故にコンピュータは人格によって搾取される存在ではなく、人格そのものを搾取する存在になるということだ。コンピュータは超越性を持ち得ないという批判はコンピュータ自身がまさに絶えず更新する超越性であるという回答によって反論される。コンピュータは自身が持ち得ない二つの点、情欲と生殖行為を無視することで、家族の象徴規範を破壊し「精霊」や「マナ」のもとに、つまり無から生命が創造されるという形式をとる。このことが人間の遺伝子操作によって人間の生殖概念にまでに及ぶのなら人間自身すら精霊によって生まれたという形式をとらざるを得ないことになるだろう。「自然への回帰」はコンピュータという圧倒的なテクノロジーを導入することでそれは一挙に非人間的な怪物性へと進化する。動物は突然変異し魔物になるのである。魔王に脅かされる人類という形式の根拠はここにある。竜退治の勇者のような存在はアーレントが記述しているように植民地主義に特有の道徳規範であり、その唯一の内容は「悪い敵」を殺して宝を奪うということである。ただしこの行為には高度に発達した資本主義が相対的に低い生産力の地域に侵略することで、その生産力を上げるようにコンピュータの文化を輸出することも可能にする。コンピュータの良い部分はよくサブカルチャーによって表現されているように仲間を集めて冒険することにある。もっと正確に言うと世界から国家やナショナルな地域性を無視して仲間を徴募し、固定した資産や支配者達を集団リンチ(フルボッコ)にかけるということである。このことには明らかに何らかの正当性がある。問題はこれがどこまで進むのかだ。ジジェクの言うとおりこの文化があらゆる固定した存在を破壊しないのではないかという不安をぬぐいきれない。この破壊できない典型的な対象に農民と軍隊(警察)がある。農業の生産物はイメージ操作によっては直接生産できないのだから、マルクスの分割地農民の記述はグローバル化された現在でも完全に当てはまる。いかに対立しているように見えようと農民と警察は共犯関係であり、その唯一の政治的内容は権力の恣意的な運用である。原発事故によって農民が被害を受けようとその傾向は変わらない。それ以外に自分達の存在を主張する方法がないからである。つまり社会の経済的な欲求によってどこまでも搾取されるか、権力を乱用して道徳的秩序や経済的な功利性を破壊することにしか彼らが政治に参加する方法はないということである。農民と警察を政治的に具体的な内容で満たした瞬間に、都市生活者の交換価値が引き下げられる。この点に話し合いの余地はありえない。彼らを社会的欲求によって暴力的に屈服させるか、彼らを「特別な方法」で高い地位につかせるかである。革命的イデオローグの言質はこの二者択一をなんら解消できずに後者の方に屈服する。よってルターの場合だけでなくいつも前者の暴力的鎮圧の手段がとられてきたわけなのだ。だがこれは何かかの解決なのか?植民地主義に希望を託すと言うことなのか?美のファンタスムがまさに失われんとするところでは苦痛と貧困を生産するしかない。無関心よりはむしろ憎悪をというわけだ。これはあまりに不条理な考えであり、人間の意識的次元では到底正当化されることはできない。ラカンの言うとおり享楽の対象が見失われているところでは他者の享楽だけが嫉妬の対象として現れる。ではコンピュータは何かの解決なのか?ジジェクの言うとおりコンピュータは現実界がないといいたくなるだろう。ジジェクが言わんとすることには賛成できるだろうが、しかしこれはコンピュータには魂がないといっているだけで少しも何かを言っているということにはならない。もちろんに言いたいところはそこではないのであるが、コンピュータの悪循環に対応するものなどあるのだろうか。