風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

天国への行き止まり

人に見捨てられたと思っているものが本を読む。めくろうとするページが、もうペーパーナイフで切ってあるのに悲しくなる。ページでさえ、自分をもはや必要としていない。(ヴァルター・ベンヤミン『一方通行路』

西尾維新の文章。いつも孤島、密室、狭い空間。日本は島国である。古典的な文章と比べたときの文章技術の圧倒的稚拙さ。ただし、この稚拙さはメディアの出現に厳密に依存し、漫画やほかの媒体によって表現できないものを表現しようとしたことへの結果である。例えば、同じ文章の大量の繰り返しは、文章では映画などと違って、その強度を情景描写なしに表現できないところから生じてくる。メディアに依存するもう一つの特徴として、漢字と仮名のハイブリットの造語の乱発がある。ラカンが日本語を使う日本人に精神分析は必要ないと言っていることの実践。

西尾維新は誰にとってのすばらしい小説家なのか。西尾維新を必要としているのは誰なのか。西尾維新ほど人間のことが分かっていない小説家はいず、よって彼ほど人間のことが分からない人間を分かっている人間はいない。西尾維新がうそつきであることは誰でも知っている。そして西尾維新は嘘をつくこと能力がないということも誰もが知っている。
めだかボックスから。球磨川禊。彼の本質は潔癖症である。いかなる修辞にも単に暴力があることとしてしか感じ取れないゆえの抵抗。ヘーゲル的悪のアイロニー安心院さんが彼に封印されていたとは、安心院さんが単なる否定的理念であり、読者が現れた瞬間に存在できなくなることを意味している。読者に対しては文体で勝負するしかない。

ブラックジャックの負債。彼は人間でも動物でも幽霊でも精霊でも宇宙人でも機械でも死体でもありとあらゆる非存在でも、そして自分自身すら手術する。しかしこのタイプの人間典型が、莫大な金額を請求するということをしないのなら、そのときこのタイプは偽善者になるだろう。命に対する代価を理解させないで、どんなものでも助けようとする意志は、生き物の生き死にを自由にすることへのおこがましさのの感覚を持たないが故に人間に対する絶対的無関心に反転する。それは人間を好きなように研究し実験する博士という典型である。この両者は人間を解剖することと、人間を愛しているということにおいて一致する。自分の子供を自由に手術してつなぎ合わせようとするのもこの人間典型の特徴である。ブラックジャックがどれほどの影響力を持っているかはほとんど計り知れない。