風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

断絶のアフォリズム

「(…)ギリシア人は、各人に自分の行為に対して責任を取らせ、それに基づいてその人を処遇するなどということを一瞬たりとも考えたことはなかった。これの古典的表現は、盗癖のある奴隷についての有名な逸話であり、この奴隷は、自分には盗むことが運命によって定められていた、とあくまで主張しようとしたところ、こういう返事をもらったのである。そうだとも、だが殴られることもな!―――刑罰権は刑罰の運命に変わることもありうるのである。」(J・ブルクハルト『ギリシア文化史』)
・機械によって作られる芸術という観点。インターネットにおけるコピーの概念と文字の可視化には物事を反復して消化するという習慣の歯止めになっている。だから何度も繰り返して遊ぶことがゲームとしての価値を持つのだ。
・なぜ我々はキャラクターを通してしか現実にリアリティを感じられないのか。意味の多様性によって反省が可視化に、規範が解釈になってしまったということ。つまり「私」は自分自身が嫌いなのだ。モンスターの過剰。生活の安全を脅かす敵からを住民を守るというゲームでは敵は際限なく独創的になる。「かっこつけ」を神聖な厳粛なものにするための神話。羞恥心を感じないためには神が見ているのでなければならない。賃金
・セーブとリセットの概念。ある特定の地点までの達成を固定することと失敗した行為を記録したまま忘却すること。巻き戻しという決定的な概念。我々は巻き戻しを比喩としてしか理解できない。だが巻き戻そうとする「私」だけは知っている。これは眼の連続性の錯覚なしにはありえない。科学による「真実の眼」の場所は断絶を認識する。過去の改変を行うには時間の回帰の性質を受け入れなくてはならない。時間の定義が身体の性質を決定する。労働はまさに過去を固定することに関わっており、だから回帰は過去を変えるのではなく過去に対する意識を変える。
・階級という概念は生産様式によって定義されるが、事故の性質によって時間が回帰するような性格を持つキャラクターの場合は貨幣のようにその「記述」可能性が問題となる。我々は数えることに疲れている。歴史を感じたり物語に触れたいのだ。タッチパネルのプラトン主義。最終的には念じるだけで書きたいのだ。コンピュータは初期ウィトゲンシュタインの間違いを全面的に受け継いだ。それでキャラクターが言語ゲームをしている。声はキャラクターに生命を与える。それでは電源の切断はどういうことになるのか?
・孤独はイメージを切断する。だからこそ神に見捨てられた者だけが創造を成し遂げる。「神に愛された」という形容詞はいつも他者からのものだ。謙虚さとは「神がいたとしても神はそれを大して気にしていない」ということである。悪を経由する必要がないこと。アーレントとヴェーユ。悪の凡庸さ。それは善が包み込み愛を与えるという形象においてのみそうである。征服や勝利という男性の虚栄心は彼女らにとってあまりに下らないものなのだ。
・戦争のためには歴史が必要である。発展の必要性。平和のためには戦争しかないというのは歴史の必然なのである。では一切が回帰するとすれば?攻略本が必要になる。ストーリーの攻略チャートと理想的なパーティー編成。未来を先読みして時間を効率化すること。
・人間は道具によって自己を認識する。だから神や真理の不在は空虚な主体的意識になるのだ。歴史の廃墟としてのデータベース。動画サイトは継ぎはぎ細工のユートピアだが、檻はもちろんこちら側にある。さあプラトンの洞窟を反転しよう!