風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

風車に挑戦する遍歴の騎士タルチュフ

ここでは資本の理念により遍歴の騎士となったタルチュフとギターを持つ従者スメルジャコフの物語が語られる。ルサンチマンに公正ではないというレッテル貼りをすることは憎悪や嫉妬の独創性を無視することに等しい。現在の状況を戦前の状況と比較して戦争に反対することでしか肯定的な表現ができないのは、まさに戦争の雰囲気を必要としているのは彼らであり、政府はそれに合わせる形で政策を発表しているということを意味する。民主主義の支配は権力に対する反抗を正当化するという形式をとるのであり、それは決まって個人の意志を機会均等の自由や権利に矮小化する。生活の安全を求める限り芸術は娯楽として表現されざるを得ない。著作権法に芸術家は暗黙のゴーサインをだしているわけで、芸術は公共の福祉という宗教になったのだ。専門家の立場とは「他人につべこべ言われない権威」でなくてなんだというのか。企業に対する監視の強化は企業から献金を受けるための公的な機関を設置するということである。労働時間以外で賃金を規定するのに反対するということは、賃金や労働時間以外では労働者はもう団結できないということであり、労働組合は完全に単なる政府との調整役程度の価値しかないということである。世界の変革を信じられるのは「世界の実在は仮定であって事実とは限らない」という信仰告白をする科学者だけであり、近代哲学は自己欺瞞を疑うという形式で主体の正しさを「確信」してきたのだ。ある企投の不可能性は主体を維持するための口実であり、永劫回帰はその事をいっている。我々は世間の制度を知ることで安心するのである。憎悪と軽蔑は醜悪の感情を創造することで不可能な美を生産する。マルクスニーチェは独創的な憎悪をスタイルにしたのではなかったか?ニーチェ応用生理学という言葉でいいたいのは科学的客観性ではなくこのことである。