風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

ギムの惑星ヨーヨー

「私がけっして近づかない問題、私の世界や私のルートにはない問題がある。西洋の思想界の問題だ。ベートーヴェンが(そして、もしかしたら部分的にはゲーテが)近づいて、格闘した問題だが、これまでどの哲学者も取り組んだことのない問題である。(もしかしたらニーチェがそばを通りすぎたかもしれないが。)もしかしたらこの問題は、西洋の哲学から失われてしまったのかもしれない。つまり、西洋文化のなりゆきを叙事詩として感じとり、したがってそれを叙事詩として記述できるような人はいないのではないか。もっと精確にいえば、西洋文化はもはや叙事詩などではない。いや、そう見えるのは、外からながめる者だけだ。もしかしたら(シュペングラーが暗示していたように)ベートーヴェンが先見の明をもって、そうしたのかもしれない。ちょうど自分の死については、予測して先取りして書くことができるだけで、自分の死を同時進行形で報告することはできないように。だから、こう言えるかもしれない。ひとつの文化の全体が叙事詩として書かれているのを見たいなら、その文化の終わりが予見できた時代において、その文化の大物の作品のなかに、それを探すしかない。その時代の後では、それを記述する人はいないのだから。というわけで、そういう叙事詩が、予見に(予感に)みちた暗い言葉でしか書かれておらず、少数の人にしか理解されないというのも、不思議ではない。」(ウィトゲンシュタイン『反哲学的断章』)
「哲学者たちよりもはるかに狂って考えたときだけ、哲学者たちの問題を解くことができる」(同上)
「時代に先行しているだけの人間は、いつかは時代に追いつかれる。」(同上)