風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

『爆発の引用』4

リヴィウスタキトゥスが、マキャアヴェリが歴史書を書いた目的を考えてみよ。現在からの逃走と慰安ではなかったか―――たびたび昔はこんなふうではなかったとか、昔もこのとおりだったとか、あるいは、昔はもっとよかった、などという考察をすることで甘んじている。」(ニーチェ『遺された断想 1873年夏-秋 29[八六]』)
「表現を理解することは、その使用法を理解することである―――そう我々は言うかもしれない。ある男が北極に行き、そこでチューリップを見たと言ったとしよう。それから、彼が意味していたのは、チューリップのように見える空気と雲の渦を北極上空の飛行機から見たということであったと判明したとする。彼は、「そのチューリップが成長するとか考えないでくれよ。それに、そのチューリップは上空からしか見えないし、種とかもないんだ」などと言う。―――このとき、彼はそうした言葉を使い、我々を煙に巻いている。我々は、「北極でチューリップを見た」と言ったときの彼を理解してはいなかったと言わねばならない。そして、彼にこの種のことを言う癖があるとしたら、彼が何か意外と思われることを言う度に、我々は彼に対して次のように言う権利がある。「私には君が何を意味しているのか分からない。君の意味していることを正確に説明してくれ。そうしてくれないと、私は煙に巻かれていると思ってしまう」。(『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇 ケンブリッジ1939年』)
「二十世紀の中途半端な時期に生まれる。古いものは通用しなくなり、新しいものは自分勝手過ぎて他人のことを考えてくれなかった時代に幼少期を過ごしたため、すっかり世を拗ねた性格に。書いている小説は「むしろ古典的」と言い張っているが、昔の名作を読んでは「しかしこれでは足りない」と言うのが困りものである。」(上遠野浩平『騎士は恋情の血を流す』)