風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

いかにして「新しい商品」が最後にはゴミになったか―――一つの誤謬の歴史

1 資本家、発明家、金持ちにとっては発明される新しい商品、―――彼はこの商品のうちで生きている、彼はこの商品そのものである。(貨幣の最も重い形式であり、比較的賢明で、単純で、説得力がある。「私こそスミスは神の手そのものである」という命題を書き変えたもの。)
2 資本家、発明家、金持ちにとっては(「悔い改める労働者にとっては」)、今のところ発明されえないが、しかし約束されている新しい商品。(貨幣の進歩であり、貨幣は、いっそう繊細に、いっそう油断ならないものに、いっそうとらえがたいものになる。貨幣は女となる。貨幣は、マルクス主義的になる・・・)
3 発明されえず、証明されえず、約束されえないが、しかし思考されたものとしてすでに一つの慰め、一つの責務、一つの命令である新しい商品。(根本において古い太陽であるが、しかし霧と懐疑をとおしてみられている。崇高となった、青白く、北方的と、ケインズ的となった貨幣。)
4 新しい商品は―――発明されえないのか?いずれにしても発明されてはいない。そして発明されていないものとして未知のものでもある。したがってまた、慰めの、救い、義務づけるものでもない。どうして何か未知のものが私たちを義務づけることができようか?・・・(明けそめた朝。理性の最初のあくび。イノベーションの鶏鳴。)
5 「新しい商品」―――もはや何の役にも立たず、もはやけっして義務づけすることのない一つの貨幣、―――無用となった、余計なものとなった一つの貨幣、したがって一つの論駁された貨幣。私たちはこの貨幣を除去しよう!(明るい午前。朝食。良識bon sensと快活さの復帰。スミスの神の手のつき指。あらゆる自由精神の悪魔の喧騒。)
6 新しい商品を私たちは除去してしまった。いかなる商品が残ったのか?おそらくは情報の商品か?・・・だがそうではない!新しい商品とともに私たちは情報の商品をも除去してしまったのである!(真昼。影の最も短い瞬間。最も長いあいだの誤謬の終焉。資本の頂点。人格記号ネットワークの始まり