風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

十一回目の爆発『軍隊の問題』

「武装した兵員数は、常に需要の絶対量を規定する。これは自らは物質の生産者ではなく、ひたすら食料を消費する者の数を定めることだ。軍隊によって、兵士(あるいは兵士の家族)というひたすら消費する者たちがつくり出されるということが、経済的に重要だからである。兵士たちは、自分の食料を現物で入手する、あるいは生産者から買うとにかかわりなく、完全に消費者なのである。」(ヴェルナー・ゾンパルド『戦争と資本主義』)
「また給養組織は、巨大な軍隊によって生じる食料品の巨大重要がどの程度の大量需要になるかを決定する。大量需要というのは、統合され、統一的になり、全体として登場する需要である。そのさい、需要充足の集中化が進めば進むほど、それだけますます需要が大量重要となるのは当然だ。さらに戦争が長期化すればするほど、戦時における集中化が見られる。最後に(艦船にあって)長い航海となればなるほど、やはり集中化が進む。」(同上)
「まず歴史が証明するところの基本的真理から説き起こそう。すなわち、制海権―――とりわけ、国益や自国の貿易に存する大海路に対する支配権―――は、諸国の国力や繁栄の物質的諸要因のうちで最たるものだ、という真理である。海洋こそ世界の運輸交通の一大媒介であるからである。」(マハン『マハン海上権力論集』)
「きわめて精鋭な艦員は、大砲や弾薬のように貯蔵するわけにはいかない。また艦船ならば、それほどの損傷の恐れなく緊泊しておけるが、その調子で艦員を休ませておくわけにはいかない。他方、志願兵、徴募兵を問わず艦員を海軍服務にとどめておくことは、経済的な損失―――生産力の損失―――を招く。一国の生産力を他の何よりも重要視する一派の論者が、巨大な常備軍および強制徴募制度に反対するゆえんはまさにここにある。この難題こそ、ヨーロッパ列強の軍備完成の責任のある当局者を最も悩ませ、常に彼らの憂慮の的となってきた。戦争物資の供給は、国民の負担になる経済問題ではあるが、それはまだしも単純な問題であって、その生産のために労働者を雇用する必要が生じるので、損失をいくらか相償うこともある。しかし、所要の兵員を徴募して訓練し、即時に役立つように鍛えておくことは、まったく別問題なのである。」(同上)
「自由志願兵制度によって兵員を補充する場合、当然ながら服務は長期にわたることになる。自ら望んで軍籍に入る者は、傷害の天職として軍人の道を選ぶ可能性が大きい。そしてこの傾向は適宜の励みをつけることによって助長することができるのである。ところが強制兵役制度の場合には、強制ということだけで軍務が忌まわしいものになり、一定の服務期間を経たのち継続勤務を志願する者は稀にしかいない。しかし他方、戦時において多数の兵員を確保することは、精鋭兵を備えることと同様に切実な要求であるから、服務期間が長くて予備役の少ない軍隊は、予備役兵の多い軍隊よりも多数の兵員を平時に維持しなくてはならず、したがって必然の結果として大規模な常備軍を設けることになる。そして前者は、戦闘のための諸要求をよりよく満たし、「予備役」という言葉の真の概念にいっそう即していることを付言しておこう。」(同上)
「このことはとりわけ重要である。なぜなら、海軍は小規模であればあるほど、常に敏捷かつ効率的に行動する必要があり、また維持費も小額でなければならないからである。実際、量すなわち数が少ないほど質が優秀でなければならない。海軍全体の質の良否は物質(軍備施設)の問題よりも、むしろ人員の問題なのであり、人員の質は、海軍における各兵の高度の能力によってのみ維持されるのであり、多数だが精鋭ではない予備役に頼ることで、その質を低下させてはならないのである。」(同上)