風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

ファイヤークラッカー

教育改革の意味はただ次の一点にある。それは政府が教育機関に対して独自に干渉する権限を手に入れたということ。総合評価という言葉は、政府が学生の「適正」を評価する基準を一方的に制定するということにほかならない。彼らが何をしようとしているのかはもうおわかりだろう。
「「前衛」的観点と庶民的動向とは、矛盾も葛藤もなく真向うから対立するものとして把握されている。しかし大衆の動向にたいして思想上の責任も負わず、苦痛も矛盾も感じない「前衛」的観点などは、本来ならば取り上げるにも値しないだろう。もちろん「前衛」などと言えた義理ではない。これらの詩が、未熟であるがゆえにかえって生々しく描き出したのは、絶対主義体制に真向うから抵抗した「前衛」と、絶対主義体制にくみ入れられた「庶民」とが、侵略戦争を契機として、おおきく政治意識上の断層をもつにいたった事実と、その事実にたいして、「前衛」たちが一顧の自省すら示さなかったことである。」(吉本隆明『芸術的抵抗と挫折』)
「しかし、「前衛」と「庶民」とを引き裂く為ために、「封建制の異常に強大な諸要素と独占資本主義のいちじるしく進んだ発展との結合であるところの日本の支配体制」(三二テーゼ)が、たんに、銃剣と弾圧をもってしたのだ、という現在も日本の民主主義文学運動内に巣くっている主体性を喪失した俗論は、根こそぎ一掃される必要があるだろう。この俗論によって、彼らはたんに吹けばとぶような誤謬の歴史を擁護しているにすぎないからだ。」(同上)
「南海泡沫事件では、あるあやしげな会社の株が値上がりしたことを歴史家はふしぎがる。それは「いずれ内容が公開される事業」というもので、これが大人気だったそうだ。しかし投資信託の方がよほどふしぎと言えよう。「決して内容が公開されない事業」であるにもかかわらず、大いに売れたのだから。」(ジョン・K・ガルブレイス『大暴落1929』)
「要するに、金融の天才たちは何でも知っていた。彼らは、ブリンストン大学のローレンス先生言うところの「企業の価値が世界最高の知性と十分な情報に基づいて判断される舞台」の演出家だった。ラジオやJ・I・ケースやモンゴメリー・ウォードに直接投資しても、もちろん儲けることはできるだろう。だがそれよりも、特別な知識と知恵を備えた専門家に任せる方がずっと安全で賢いやり方ではないか・・・」(同上)
「別の方法で自社の優越性を訴えたところもある。たとえばある投資信託は、一二〇の銘柄を組み入れているのだから、「一二〇社の社長、経営陣、役員に備わった経営手腕の集合」を活用でき、しかも「これらの企業は大手銀行と密接な関係にある」ので、「アメリカ実業界が誇る優秀な頭脳を当社が総動員しているも同然」だといささか大胆な論理の飛躍をしている。論理に訴えるのがあまり得意でない別の投資信託は、ただ簡潔に「投資はサイエンスであって、素人の手には負えない」と指摘した。」(同上)
「経済にかんする予見は無視せよ―――これこそ市民にとって安全な規則です。」(同上『ほとんどすべての人のための経済学入門』)
補足として、ガルブレイスが経済に関する予見を無視せよと言っているのは、経済の予見は経済学者にも投機家にも(何か特定の操作をしなければ)わからないので、適当に自分達の願望を書いているだけにすぎないことがほとんだからである。知らないことを知っている人と知らないことを知らない人の差異。