風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

四回目の爆発『知識人の商品形態』3

私が望んでいるのは全ての人間を資本家にすることである。基本的な考えは貨幣の増殖を計ること。しかし貨幣は他者に貸し出すことでしかその価値を増殖させることができない。しかし他者に貸し出すためには言葉、あるいはディスクールが必要である。このディスクールは我々の持つ表象能力と根源的に不一致があり、そこにこそ言葉による貨幣を増殖させて価値を手に入れる秘訣が存在する。つまり同じ表象の能力を使用してその都度ディスクールに記入された言葉とは違う言葉を生み出す事ができるということである。ところがここで国語浄化主義者が登場し、言葉の意味は時代を通じて同じであり、現在でも同じように使われるべきだと主張し介入を行なう。資本家たちは小説家や詩人となってあらん限りのやり方で回りくどく曖昧な書き方でそれを逃れようとする。そういった試みが限界に突き当たると革命を起こして新しいメディア記述を発明することになる。その発明されたメディア記述によって新しく言葉が使用され増殖し始めるようになると、こんどは贋金が増え、どれが良い言葉で退屈な言葉なのかということが分からなくなってしまう。そのため人は良いディスクールが記述された古典を求め、それが教科書となって制度化されて退屈な言葉を減らそうとするが、教科書となった言葉は制度化によってあらゆる意味で価値を増殖できなくなり、退屈さが支配するようになる。そこで人は今度は学者になり始めあらゆる良い本を作ろうとするのだが、こうなると言葉がありすぎて何が何やら分からなくなり、言葉の価値が全体として低下するので、言葉の使用を禁止し、ディスクールだけでしばらくはやっていこうということになる。ところで人は言葉を禁止されると、言葉の貯蓄に励み始め投資が行なわれなくなり、ディスクール全体が貧弱なものになってしまう。そこで人はディスクールを言葉を禁止しつつ豊かなものにする為に公共投資を行い大量のプロバガンダと扇動によって人々を熱狂に駆り立てメシア願望を書きたてる。残っているものは何か?あなたは自分の力で現実逃避をしなければならない。ディスクールから何がなんでも逃げなくてはならない。つまり集団に対抗して精神錯乱にならなくてはならない。「ダリは、自分についてフロイトツヴァイクに次のように言ったのを聞いて大いに満足した。私はかつてこれほど完璧なスペイン人を見たことがない。なんという狂信家だ!」(ロベール・ディシャルヌ『ダリ全画集』)