風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

ゆがんだ踊り2

わたしの享楽の構造がどうなっているかなどどうでもいいのだ。人間が絶滅しようが家畜になろうが知ったことではない。これが現在の支配的イデオロギーの典型だと言ってもいいかもしれないが、だからなんだというのか。人身売買が資本制に対するひとつの例外だということも、家畜として人間存在の価値を誰に計算してもらうのかということも、閑暇が恐るべきものになっており、忙しさが不安になっているということも、人間から生まれる存在がもはや人間とは呼ばれえないかもしれないということも、民主主義の優生学というものがあることも、どうでもいいことではないか。愚行自体が義務となるなら、二本足の恩知らずな動物も少しはましになるのか?なるわけがないだろう。こうなると人類が絶滅する方向を考えた方が手っ取り早いのではないだろうか。そんなことはどうでもいいと言ったばかりではないか。芸術批評でもするか?真剣に?まじめぶって?それともこれらは実に馬鹿なんだよとでも言えばいいのだろうか。「論争とは、一冊の本のわずかな文章を取りあげて、その本全体をこきおろすことである。ろくに読んでいなければいないほどよい。こきおろすことができる者だけが、批評することができる。」(ヴァルター・ベンヤミン『一方通行路』)ちなみに「本物の論争は、一冊の本を相手にするとき、食人種が乳児を食べる支度をするときと同じぐらい、心を込めるものだ」(同上)

「かつてリチャード三世は、ヘンリー六世を殺し、この世にはヘンリーはあまりにも善良すぎる、天国に行くべきだ、といった。」(マルクス『ルイ・ボナパルドのブリュメール十八日』)
「すでにサルトルは次のように言っていた―――人間が共産主義、完全な平等を目指さないのであれば人間は蟻や豚と同様詰まらない動物の一種にすぎないものとなるだろう、と。」(アラン・バティウ『世紀』)
「ミルネールの悲痛な結論はこれである。「許可だの支配だの平等だののことは、もう聞いてくれるな。ここで問いたい。手打ちをした著名人や連帯した強者に対して、どうしたら弱者は力を持てるというのか?」」(スラヴォイ・ジジェクポストモダン共産主義』)
「「ぼくは医者に、公徳心分泌線に形成異常があるって言われてるんだ。それに良心繊維が先天的に欠損してるって」彼はぼやいた。「だから宇宙を救ったりしなくてもいいって言われているのに」」(ダグラス・アダムス『宇宙クリキット大戦争』)
「「このクリキット人ってさあ」クリキット戦争犯罪裁判長最高司令官パグ司令官ことLIVR((…)―――学識高く公正明大にしてすごく砕けているやつ―――の略)は言った。「そのなんて言うか、全然悪いやつらじゃないんだよな。ただ運悪く、どいつもこいつもぶっ殺したいと思ってるだけでさ。わかるよ、おれだってそういう気分の朝があるもんな。ちぇっ」」(同上)