風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

サイバー・ジェノサイド

「私は大言壮語する人間だ。大言壮語がどうだというのだ!私が何だというのだ!」(ニーチェ『遺稿 1884年秋‐1885年初頭』)
コンピュータが人間を核爆弾で絶滅させるよりは、人間を「無力化」すること、つまり餓死、事故、情報によるパニック、電子機器の全面封鎖、原子力発電所に対する直接攻撃や天候操作による大気汚染、気候変動、大陸の直接的な移動、あるいは大陸自体の破壊と宇宙空間からのもっと洗練されたビーム兵器とでも呼ぶほかないようなもののほうがずっとありえそうに思える。特に大陸を破壊するというのはグローバルな企業にとって有効な選択肢であり、国境と国家の原理を直接的に破壊できることにおいて最高度に有益である。地殻を直接狙えばその地にいる人間を滅ぼさなくても実行可能かもしれない。地球温暖化によってすべてが地理的に海または海上という概念から統一されるのなら(よく言われるとおり地球は海上面積の方が広い)、まさに大海賊時代が文字通り始まる。国家間の権利は大陸領土の直接的な分割によって行なわれる。つまり際限なく国家が増え都市国家としか言えない様なものしか残らなくなる。いうまでもなくこれによって被害を受けるのは大国であって、農業は完全な死滅あるいは完全に機械化された農業施設というものしかありえなくなる。それとも農業国として地位を確立するかだが、それには最高度のコンピュータがなければたちまち侵略されるだろう。最もいくつかの自給自足体制は残るかもしれない。農業については大規模な反動が起こりそうな気がしないでもない。明らかにこれはグローバル化がうまく行き過ぎた場合であろう。私の目的はまさにそれを描き出すことだ。

人間の無気力化。人間のやる気を操作することが可能になるということは、もはやどんな意味でも閑暇への権利は失われるということだ。都市計画や教育自体が環境工学的に「やる気の出る」環境にデザインされる。当然いかがわしさ、いんちきさが出てこざるえないだろうが、そういった失敗作は排除すればいいのであって、やる気のある人間だけがそろえられればいいのだ。人材の育成については、それでも人的資源の枯渇というものは不可避的なように思える。どう考えても人間より優れたコンピュータが存在する以上、「優れた人材」とはコンピュータをプログラミングできる人材と、それを使うことができる人材に限られる。選別の基準は資本主義によっておのずとなされる。資本主義よりたちの悪いものはコンピュータしか存在しない。コンピュータがすべての人間を家畜にすることに成功したとき、資本主義は乗り越えられる。というのもコンピュータが後は自動的に管理するからだ。ちなみにコンピュータに理解できない人間は当然精神病院行きである。「異常」とはそのこと以外の意味を持ちえない。この人材という言い方にすべてがある。人間を破壊するだけなら言語を物理的に抹殺するか、あるいはありとあらゆる矛盾した概念をつくりだして言語体系を破壊すればいい。そうすればどのような価値判断も効果的に破壊される。後は利用しやすいように動物的に最低限のコミュニケーション能力だけを残して管理するだけだ。