風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

複雑だが実にわくわくする計算問題

異教徒にとってこの世で最も高くつく商品、イエス・キリストは最初ユダによれば銀貨三十枚の価値しかなかったのだが、時代が進むにつれ、ますます値上がりしていった。パウロという、ニーチェによれば全然馬鹿ではないこの異教的天才がイエスの値段を教会によって実に高く売りつけたのである。おかげでルターが修道院や大学を「騾馬の厠」と呼ばざるをえないほどイエスの値段は高くなった。いまではイエスはひとつの貨幣そのものとなっており、価値そのものになっている。なぜなら我々は銀行券という紙を信じているからだ。しかしなぜ異教徒にとってイエスはこんなにも高い買い物なのか。イエスによれば彼自身の値段は、「家、妻、兄弟、両親、子供、全焼のいけにえよりも、どんな財産」よりも高いのだそうだ。ただし、やもめのレプタ銅貨二つや騙し取ったものの4倍は彼自身の値段に等しいそうなのだ。ちなみにサドの講釈によれば、ジュリエットは貧しい人々に一文も恵まなかったことを大いに喜んでいる。「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」というが、ジュリエットのような「心の貧しい者」は無一文で入れるらしい。このような数学は我々の頭を混乱させる。イエスは99匹の羊よりも逃げ出した1匹の羊の方がよいのだそうだ。というのも我々はその方が喜ぶからだそうだ。より多くの罪を犯してそれを赦してもらう方が、少し赦してもらうより神の愛を受けているのだそうだ。5つのパンと二匹の魚を祝福すると五千人がそれを食べて、なお十二のかごにパンがいっぱいになるそうだ。なんという貨幣増刷であろう!イエスによれば貧しいものに与えた方がよいのは、単純に彼らが与えたものを返せないので、後世でもっと大きく受け取るためなのだそうだ。すばらしい投資技術!まことにイエスは異教徒にとって交換不可能でありかつ交換価値の最も高い商品である。しかもである。この銀行家は永遠の命を持っているので、決して滅びない信仰という貨幣(パン)を持っているのだ。「わたしが死ねば私の世界も消滅してしまうではないか、と反論する人がいたなら、その人にはこう答えたい。そうではないのだ。わたしが死んでもこの世界は依然として私の死後の世界にすぎないのだと。世界はもう私に中心化された世界以外の世界になることができない。これが独我論の秘儀である。」(永井均『なぜ私は悪いことをしてはいけないのか』)まさに「神は死んでいるがそのことを知らない」。シモーヌ・ヴェイユのすばらしい表現によれば「剣を取るものは剣によって滅びるであろう。そして剣を取らないものは十字架によって滅びるであろう」(『重力と恩寵』)