2014-07-07から1日間の記事一覧
だがその勇気も道徳的解釈ではないのか、という批判があるかもしれない。それならカントのほうがはるかに正しいではないか、と。ウィトゲンシュタインの「沈黙」の方が正しいではないかと。だが、なぜそれに反対するのか。それは超越的真理がないと主張する…
「寛容」とは多数者の支配のことであるが、そうすると少数者の趣味が「寛容」によって圧殺されることはほとんど確実である。「なぜ多数者に従わなければならないのか」と「なぜ少数者に従わなくてはならないのか」ではその時代の趣味が判決をくだすのであっ…
わがままを言う人間が増えてきた、といっても人間に残されているのはわがままだけだ。人間は運命の犠牲者ではないぞと必死で主張すること。なぜ運命愛がわがままの最後の形なのか。わがままがある種の構造的必然だから。わがままを言うということは運命を愛…
でたらめに書く事。まちがえること。ありとあらゆる意味できれいであってはならず正しくあってもならずできる限りまちがえること。宣伝広告と宣伝広告でないもののデッドロックは失敗した文章であるのか。それすら意匠になるのではないのか。悪口はどうだろ…