風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

ゲーム的世界観における「自然への回帰」5

「しかし、よく理解してほしい。ボナパルト王朝は、革命的農民ではなく、保守的農民を代表しているのであり、その社会的生存条件である分割地を超えて押し進む農民ではなく、むしろその守りを固めようとする農民を、都市と結びついた自分自身のエネルギーによって古い秩序を転覆しようとする農民大衆ではなく、その反対にこの古い秩序に鈍感に閉じこもり、自分の分割地ともども帝政の幽霊によって救われ、優越されるのを見たいと思う農民大衆を、代表しているのである。ボナパルト王朝は、農民の啓蒙ではなく迷信を、農民の判断力ではなく偏見を、農民の未来ではなく過去を、農民の現代のセヴァンヌではなく現代のヴァンデを代表する。」(カール・マルクス『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』)
「議会的共和制による三年間の過酷な支配は、フランス農民の一部をナポレオン幻想から解放し、たとえ表面的なものにすぎないにしても革命化したが、彼らが動き出すたびに、ブルジョワジーは彼らを暴力的に押し戻した。(…)そしてこの同じブルジョワジーが、いまや大衆の愚かさについて、ブルジョワジーをボナパルトに売り渡した「卑劣な大衆」について叫び立てる。もちろんブルジョワジーは、大衆が保守的であるかぎりは、その愚鈍さを恐れなければならず、大衆が革命的になるとすぐに、その分別を恐れなければならないのである。」(同上)
「最後に、「ナポレオン的観念」の頂点は、軍隊の優位である。軍隊は、分割地農民の名誉にかかわることであって、外に向かっては新しい財産を守り、まさに戦い取ったばかりの彼らの国民性を称揚し、世界を略奪し革命化するものであった。輝かしい軍服がかれら固有の大礼服であり、戦争が彼らの詩であり、空想の中で延長され仕上げられた分割地が祖国であり、愛国心は所有意識の理念的形態であった。しかしフランスの農民がいまそれに対して自分の所有を守らなければならない敵は、国外のコザックではなく、国内の執行官と租税長官である。分割地は、もはやいわゆる祖国の中にはなく、抵当登記簿の中にある。軍隊そのものが、もはや農民青年の精華ではなく、粗野なルンペンプロレタリアートの泥沼の花である。軍隊は、大部分がランプラサンから、つまり代役からなっている。」(同上)