風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

ゲーム的世界観における「自然への回帰」4

「「白人の重荷」という台詞は偽善と人種的傲慢以外の何ものでもなく、またそうでしかありえなかった。だがそれにもかかわらず最良のイギリス人は大真面目で重荷をわが身に引き受け、帝国主義的冒険の悲劇的なドン・キホーテになった。なぜならヨーロッパ大陸ではその効力がいろいろと過大評価されている偽善の伝統の背後には、もうひとつの余り知られていないイギリスの伝統が潜んでいるからである。それは竜退治の伝統とでも名づけたくなるような伝統である。恐れを知らぬ天晴れな騎士が竜との戦いに打ち克つべく遠いお伽の子供の国へ意気揚々と出かけていくという物語は、イギリスでは学校のお話や子供の夢枕にはまだ現れていたのである。」(ハンナ・アーレント全体主義の起源2 帝国主義』)
「(…)ヨーロッパ世界の内的な偉大さを原住民に伝え得たのは、陛下の一兵卒でもイギリス高官でもなかった。この任務を引き受けることができたのは、少年の夢を捨て切れず、そのために正常な世界から植民地勤務へと逃げ出した人々だけだった。イギリス社会の側からしてみれば、このような若僧が遠い国に行ってくれるのは願ってもないことだった。そうなれば公教育におけるジェントルマンの理想を大目に見てむしろ奨励してもいいくらいで、最良の生徒達がそれを本気で心配する必要がなくなるからである。植民地勤務は、いずれにせよイギリス自身の中では害になるわけではない少年の理想が、危険な大人の理想にならないようにする確実な保障だった。」(同上)
「分割地農民は膨大な大衆を形成しており、その成員はみな同じ生活状況にあるが、相互にさまざまな関係を結ぶことがない。彼らの生産様式は、彼らを相互に交流させる代わりに、互いに孤立させる。この孤立は劣悪なフランスの交通手段と農民の貧しさによって助長される。彼らの生産の場、分割地は、耕作にあたって分業や科学の応用の余地がなく、個々の農民家族はみな、ほとんど自給自足し、その消費物のほとんどを直接自ら生産し、こうしてその生活資料を、社会との交流でよりも、むしろ自然との粗暴な交換で獲得する。(…)分割地農民の間には局所的な関連しか存在せず、彼らの利害の同一性が、彼らの間に連帯も、国民的結合も、政治的組織も生み出さないかぎりでは、彼らは階級を形成しない。(…)彼らは自らを代表することができず、代表されなければならない。彼らの代表者は、同時に彼らの主人として、彼らを支配する権威として現れなければならず、彼らを他の諸階級から保護し、彼らに上から雨と日の光を送り届ける、無際限の統治権力として現れなければならない。したがって分割地農民の政治的影響力は、執行権力が議会を、国家が社会を、自らに従属させるということに、その最後の表現を見出した。」(カール・マルクス『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』)