風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

家族の点呼

妹の声とは何か。それは兄への呼びかけである。そもそも声が聴かれるのはどうしてなのか。家族の声や死んだ人の声が聴こえるのは何故なのか。音として聴こえるということなら家族は脳の中にあるということなのか。もしそうなら人は結婚によって家族を作ることはできないはずである。家族が誕生するためには愛のリズムが自律することが必要である。男と女はテンポが違うのにどうして愛というものが聴こえるのか。女は欲望の対象と見なす限りうるさくするもの、騒音である。男の韻律の緊急性はこういったものに不調和を感じる。したがってこの不調和が騒音と調和し愛として身体を与えられるようになるときリズムは誕生するといえる。子供は心臓の鼓動と泣き声によって産まれる。しかし実際のところ男と女はいかにして区別されるのか。明らかにリズムを命じるための言葉によってである。性別とは言葉による意図的な区別なのだが、性別が維持されるためには愛の誕生が反復されるという楽譜が予め用意されていなくてはならない。つまり同性愛や倒錯はそもそも男と女が愛し合うという公式を信じている場合にしか可能でなく、男と女が愛し合うことを知らない人だけが愛することができるということである。ここで重要なのはそもそも男と女は言葉の意図的な区別であって、ある特定の性別として産まれるわけでは決してないということである。性別は名付け直すことが可能なのである。フェミニズムは近代の生まれながらの権利の主張であって、それは自分と違うあらゆるものを差別だとして弾劾する。そうであるならば家族関係を新しい命名によって誕生させることができるはずである。私がここで兄弟姉妹という言葉を使うのは慣習的な判断にすぎないが、その意味はまったく異なっている。ちなみにこれは余計なことだが、妹が幼い少女の甘い声で兄を呼びかける必然性などまったくない。一旦家族関係の呼びかけが成立すれば二人称や名前で呼ぶことに何の不調和もない。近親相姦とは父母子という家族関係における例外を規定したものでしかないのだ。だから近親結婚とは普通の結婚のことなのである。しかし直接的に命名の関係を変えることはできない。だからエロゲーによる美少女の媒介が画面(カード)の声を通じて必要なのだ。