風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

呟いてみる

・書評というものは実に楽しいものであって、他人の粗を探したり、自分が正しいことの優越感を感じたり、大真面目で「作者はこう言いたいのだ」と自己主張したりすることができる。しかし何より大事なのは、相手が死人や有名人な場合に気晴らしができるということだ。
・販売における流通形態は消費者の性向を決定的に反映する。本屋の質が下がったのは通販があるからである。ということは、流通形態を消費者に指示するには、それに応じた形式が必要だということである。古本屋が物語の舞台になるのはそのためだ。
・売れていないが認められていない作品はその時代に対応する価値を持っていないことの「証明」である。潜在力は本質的に脅威として見られるからである。つまり可能性は反発される方法にある。ヘイトスピーチは一つの現実的な希求であり、それを収入の安定している知識人が批判するという構図は状況そのものを指し示している。
・私は抽象的な議論ができなくなったから知的に劣化したとは考えない。それはおそらく唯物論ニヒリズムなのだ。だから変えるべきなのは彼らの誠実さにある。論理的という言葉が抽象的な議論になったのはプラトンキリスト教のせいである。
・学習することはどんな場合に正当化されるのか。試験による評価がある場合。布教をせずに学習を手段にするには評価なしの貨幣を求めなくてはならない。
・貨幣か神かという二者択一こそ人類にとってこのうえない汚辱であった。使われない貨幣の量によって救いが手に入るとか、貨幣が行為の邪魔になるとかいうことは信仰でなければ堕落の症候にすぎない。
・自分の夢のために貨幣を求めることは肉体労働を正当化する。
・女を貨幣で買えるということは、空虚の重心を恋愛から移しかえているということである。妹が資本制において空虚にならないのは、それが家族への敵対性によって維持されるからだ。
・人が芸術から求めているのは、自分が本来何者であるかの事実性なのである。女性は芸術の代わりに自分自身を求めさえすれば、本来性が存在しないことに事実を置くことができる。