風鈴神社

自然の囁きを声として反復することでメロディーを生み出すブログ兼放射性廃棄物処理場。はじめての方は「☆☆☆」か「はじめての方向けの引用」のカテゴリーからどうぞ。

涙と聖者

被災地のボランティアに行ってきた。これは私の方針に反することなのだがしょうがない。相変わらず当たり障りのないことと「善意」しか持ってない連中のあつまりだが、現地の人々は精神を除いて活気に溢れている。ここで精神というのは元気という言葉で言い表される以外のすべてだ。頑張ろう!というのはある程度までは嘘ではない。見事に被災の経験を乗り越えている人もいる。ただし、なんの政治的感覚も持ってないことは疑いを入れない。例外はいるだろうが、不満や懐疑を敵視するような雰囲気がある。いつも通りの植民地主義でしかない。むろんいかなる建設的な反抗も不可能だろう。しかし文化犯罪の宣伝広告にまみれているこちらよりはましだ。誰もが現実よりスマートフォンを見ている。ガリバー旅行記の世界にいる気分になる。テレビのバカ面を見せられて殺意を抱かないやつは精神を持っていないのだ。預言者はこういう時に霊が入ったという口実で語り始める。何故なら主は人間ではないから独善的な正義を語り、預言者は貨幣を目的とするのではなく神の恩寵というはかない希望で命を繋ごうとするからだ。私は哲学者としてこのことを一言で言おう。勇気だけを頼りに語ると。